ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

7/11ミーティング

7月11日(土)、新宿でミーティングを行いました。出席者は原、辻、外島、佐々木。議題は当ブログ「ポリ画報通信」のデザインを含む方向性と、年内に発行予定のvol.3の制作方法です。

 

(1) ブログについて

「ポリ画報」として、現在、また過去の活動をアップすること、また各々の制作日記や雑記帳としても使用することなどを決定しました。

 

(2) vol.3とそのテーマについて

vol.3のキーワードとそれを元にした制作の手順について話し合いました。どんな言葉が選ばれたのかはまだひみつ!ですが、今回もある作品(ないしそのようにみなされうる程度のまとまりをもった断片)から、イメージが分岐、変容しつつ展開していくようなプログラムを組んでいます。

 

(3) 次回ミーティング

次回は8/1(土)を予定しています。夏休み、ということで、新宿周辺はことさらに混雑しそうです。よい場所があるといいですね。

 

 

雑感:いとのいととそのきとについて

 「ポリ画報」ではおよそ月一回、入稿間近となれば週一回を超える頻度でミーティングをしています。制作のための実務的な遣り取りのみならず、作家同士の貴重な情報交換の機会として、私自身楽しみにしている事柄でもあります。しかしどれほど丁寧な対話を重ねても、各々の制作意図の全容を把握することは難しく、どうしたって取り逃してしまう部分があったり、作者が強調したかった箇所とは異なる部分に着目していることがあります。

 もちろんそれが必ずしも悪いこと〈である〉とは限らず、また悪いこと〈になる〉とも限りません。こと「ポリ画報」の採用する連歌のような制作スタイルにおいては、作家本人も気付かなかった観点や、他者ならではの理解のショートカットからなされる飛躍的な介入≒変形こそが共同制作の醍醐味ともなっているのです。「ポリ画報」がイメージのポリフォニーを指向している限りにおいて、あえて解釈を分岐させる契機を、糸のように張り巡らせておく手法を選んでいる方もいらっしゃることでしょう。 

 解読の経路が複数ある、という状態。それは一見曖昧で、わかりにくく、ともすれば正答の設定を放棄した、投げやりな姿勢と同一視されてしまうことがあるのかもしれません。しかしながらそれは作中に込められた意図が明確ではないということを意味してはおらず、また読解が帰着する答案に最適解が存在しないということを指示しているわけでもありません。だからこそ、伏せられた企図を多角的に照射する機会として、「ポリ画報通信」という場所を有効に働かせることもできるのではないでしょうか。

(佐々木つばさ)