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ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

深沢夏衣文学を語る会、社会の芸術フォーラム展、遠藤麻衣公演

 イベントや展覧会へ行って思ったことなど書きたいと思います。

 

深沢夏衣文学を語る会

2015.12.5  法政大学市ヶ谷キャンパス55年館561教室

川村湊、高柳俊男、小林孝吉、ぱくきょんみ、(司会)高二三

 

 『深沢夏衣作品集』(新幹社)刊行を機に、このシンポジウム形式の会はひらかれました。深沢夏衣(1943-2014)は、在日朝鮮人二世で国籍は日本、戸籍上の名前は山口文子という女性です。校正の仕事をしながら、在日の雑誌に関わったり、小説、エッセイ、書評や映画評などを書いてこられました。一口に在日といってもそのなかには差異があって一つではなく、国や民族と自分との関係は位置付けしがたく、苦しみは内向化しがちなのだと思われました。それをどう語ればいいのか。深沢さんの小説のなかに「コトバを動かす」という一文があって、その辺りはよく引用される一節のようですが、動かない(動けない)コトバのままでなく動かしたい、という情熱というか情念が、この人にはあったのだと思いました。

 深沢文学は在日女性文学という枠で語られるのですが、この会では、ぱくきょんみさんの発言に、世界文学という別の発想があったと思いました。ヤマグチフミコのアメリカ黒人女性文学への関心を取り上げ、いかに語るか・語りつぐか、というテーマ性で、そこからまた、山口文子と在日女性詩人宗秋月との関わりへ横断しています。ぱくさんの構図は、比較文化比較文学)的ともいえるかもしれません。かつては、世界文学とは英文仏文独文露文…等々大国の文学を足し合わせたようなイメージでしたが、今日では、ポストコロニアル的というか、かつてはマイナーとみなされていたものに世界性が見出されていると思います。

 深沢さんは、結婚せず、姉と一緒に暮らしていたこともありましたが、いろいろな意味で個人として生きておられたという印象ものこります。

 

社会の芸術フォーラム展「躊躇」

2015.12.4-12.19  HIGURE 17-15 cas

荒木悠、飯山由貴、高橋耕平、田中良佑、村田沙樹

 

 この展覧会の告知をネットでみて、なかでも特に、飯山さんが、家族の1人が持つ幻覚や幻想を再現する試みや、精神病院の医療記録やケアについてリサーチをしている、ということを知り、実際にどういうことをされているのか見に行きたいと思いました。本展は全体に映像が主で、広義でドキュメンタリー的というか、向き合いにくいことに向き合おうとしているそのプロセスを報告しているような感じがありました。

 飯山さんが展示していたものは、精神科医療を受けている妹の家族として、考え、やっていたことで、作品というよりもっと私的な、アートをはみ出しているもののように感じられました。でもそういうものがアートの展示として出されていることが現代アート的なのかもしれませんが。幻覚や幻聴があるその人が経験している感覚や思考に寄り添って外から分かる形で追体験みたいなことをしようとすること、それを映像にしてその人も他の人もその擬似追体験を外からの視点で見られるようにすること、そういう、心的現象の経験の共同化にポイントがあるように思えました。

 飯山さんが2014年にwaitingroomで展示された際の小冊子もあるのですが、その中に、(妹が)以前は幻聴や幻覚でムーミンたちとおしゃべりしたり一緒にいたりしていたのが、最近は、ムーミンは夢で会うことが多くて、あまり幻聴や幻覚としてやってこないようです、という記載があり、幻覚や幻聴と夢との関係についてもたいへん示唆的でした。

 

遠藤麻衣公演「ボクは神の子を妊娠した。」

2015.12.23-12.27  TAV GALLERY

 

 本公演は、プレゼンテーションとのことでしたが、30分くらいの間に内容は詰まっていたと思います。演じること・俳優になること、初音ミクのような自意識を超えた媒質(メディウム)であることへの憧れ、初音ミク聖母マリアとの重ね合わせ、処女懐胎から代理母への読み換え、妊娠出産子育てといった社会問題への提言…。

 オヤコ関係は一つではない、ということは昔からあったようですし、映像では、コドモの愛着は複数のオヤに向けることができるという研究も紹介されていました。子育てを社会化するという発想もこれまでにあったと思います。ですが、受精と受胎を分業化して、母・代理母・子のあらたな関係に未来の可能性をみるような発想は、あまりなかったかもしれません。このプレゼンの特徴は、初音ミク聖母マリア代理母が、受容体や器のようなイメージで一本につながっていることで、そこには何となく、自分の体が自分より高次なことのために使われるのを望むというような、演技的かもしれませんが宗教的感情のようなものがある感じがしました。代理母になりたいという気持ちと初音ミクになりたいという気持ちとアヴェ・マリアを歌う気持ちはほとんど同じようにみえます。母性という問題を分解するこの発想はユートピア的でしょうか。でも、人間の歴史上にはさまざまな宗教コミュニティがあったことを思うと、地球のどこかに代理母であることが宗教的価値をもつゆえに普及しているコミュニティがあってもいいと思えたりします。

 

(原牧生)