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ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

「ポリ画報 vol.3 transdreaming」完成しました。

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ポリ画報 vol.3
transdreaming

絵、テクスト/原牧生、辻可愛、外島貴幸、佐々木つばさ

絵/辻可愛
漫画/外島貴幸
詩・言葉あそび/原牧生
編集デザイン/佐々木つばさ

B5サイズ 60ページ 2015-2016年制作 価格2000円

 

transdreaming について (原牧生)

瞑想、観想、空想、あるいは、幻想、幻覚、妄想、これらは、虹の色が並んでいるように、夢や夢想ととなりあっている。
眠っていないとき、夢は意識されない。しかしそのとき夢がないとはいいきれない。
浅い記憶から深い記憶まで、その人の日々の生の条件に応じて、再活性化している記憶がある、という生理状態は、意識されないあるいは表象されない夢であろう。
情動的な記憶が、もとの経験から別の場面や行動のイメージに投影され、新しい記憶に古い記憶が重なり合ったりする、夢は、一種の思考だ。

ポリ画報vol.3は、メンバーの四人で夢を語り合うという実験をした。はじめの仮定は、夢を語り合うプロセスを続けているうちに、他人の夢の影響を受けた夢をみるのではないか、ということだった。

夢を思い出せるというのは不思議だ。意識がなかったときのことを意識できるのだから。しかし、夢に関心をもつようになってくると、夢を意識しやすくなってくる。睡眠と覚醒の中間的な状態のときに、夢は夢うつつな記憶になるのだろうか。
夢を思い出すことは、夢を語ることになる(ならざるをえない)。イメージのままではすぐに忘れられるから、みたものを言葉にしていけるか(しておけるか)にかかっている。
夢を記述する(書く)とき、夢を思い出して保持している。部分的にすぎないけれど、思い出すことに集中していけば、その夢をまたみているようなものだ。

夢を語り合うとは、集まって話し合うことだが、他の人の夢の記述(夢テクスト・夢語り)を読み合うことでもあった。そうすると、夢の場面、そこにみえているものなどが、思い浮かぶところもある。他人の夢経験そのものは不可知だ。しかしそれでも人間は言葉をつかっている。言葉に介された夢が夢なのだ。

言葉から想像する、というのは、その言葉から何か思い出される、連想もともなってみえてくる、ということであろう。夢をみた当人が想起する夢と、その人の語りの言葉から想像されるものと、どれくらい違っているかは分からない。

いくつもの夢の記憶としての夢テクストの集まりをつくる、そこから特徴のようなものを見出す、いくつかの夢テクストから夢テクストの再構成をする、夢の話をしながらそういうことをしていると、夢テクストの記憶が自分の記憶に取り込まれる。
自分の夢の記憶と、他人の夢テクストからの想像(の記憶)と、経験としての違いは何だろうか。一方が現実の記憶、他方が架空の記憶、とはいえない。

そのうえで、何か絵を描いたり表現する。
分かりにくいたとえだが、何かある曲を即興音楽として演奏するみたいなものかもしれない。モチーフの再現や変奏よりも、曲想のようなものに動かされる、とらえられない記憶のドライブ。
それは共同の記憶だが、共同の記憶に同一性はない。その同一化は歴史の捏造のようなものだろう。同一性がないままに表現をあたえてみる。

夢告や予知夢や占いなど、夢は人間関係的社会的なものだった。言葉を介し、語り合われることによって、記憶は記憶につく。
民話や神話は共同体の記憶で、共同の記憶が共同体の記憶に転化するプロセスがあったに違いない。

今回の企画を考えるにあたり、いろいろな本や作品から影響をうけている。
ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』(角川文庫)は、雑誌読者にお題を出して、記憶だけを頼りにそれを描いてもらい、投稿された絵を集めコメントを付けたもの。記憶と想起とそれを描くということの面白さをしらされた。
また、ハーモニーというNPOでは、日々のミーティングで精神障害のあるメンバーどうし自分の経験を語り合い共有し、「幻聴妄想かるた」というものをつくっている。そういう実践もリスペクトしている。

この試みは、夢のイメージの表現ではなく、(この冊子をみる人において)夢をみさせるものへの旅のようなものにならなければならない。