ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

岡﨑乾二郎個展

 最近みた展覧会の感想など書きたいと思います。

 

岡﨑乾二郎個展

2016.11.10 -12.11  Takuro Someya Contemporary Art

 

 岡﨑さんの作品は作品名(タイトル)と作品の関係に特徴があると思います。タイトルの言葉は作品の名ですが、その言葉自体もその作品であるような存在感があります。タイトルと作品は構造が同じなのだろうと思います。

 今回のタイトルを読むと、サイズが大きい作品のタイトルは、言葉が多くて長く、神話というか民話のようなメルヒェンのような、喩え話のような、寓意的な物語性が感じられました。詩と絵の関係というようなことを考えさせます。長歌反歌のように大小二点一組のもあります。タイトルは作品をあらわすとしても、作品はタイトルをあらわさない、言葉とイメージは構造的な並行関係であるのだろうと思えます。

 サイズが大きい作品は、感覚的に強く、荒々しいといえるくらいです。筆触というよりたんに触であるような、人の手によるのでない外力の跡みたいにみえます。岡﨑さんの焼き物の立体作品でも、手でつくったようにみえない感じがあると思いますが、そういうのに近いような気がします。

 サイズが小さいペインティングが横並びになっている作品のタイトルは、火とか水とかの語が象徴的な感じで、宇宙論的というか錬金術を連想したりします。サイズは小さくても作品空間のスケール感は小さくないという展示の仕方は、初期のレリーフ作品から通じるものがある気がします。閉じていない額縁(?)によって空間が複雑になっていると思います。二次元かつ三次元というような。絵画と建築の関係を歴史的に思うと、額縁は建築と絵画のインターフェイスだったのではないかと思えてきますが、これは額縁の再発明という感じです。

 ギャラリーの一つの壁面には、岡﨑さんが以前から共同研究開発されているロボットを用いたドローイングが9種類2点ずつ展示されています。9種類(9枚)をまとめて並べたのが左右にあって、向かって左側は黒、右側は緑や青で描かれています。ドローイングは抽象的あるいは即興的みたいにみえます(もしかしたら何かと何かが重ね合わされているのかもしれないということもできますが…)。9種類の並び方は左右対称になっています。9枚(種)の並びを一つのまとまり(パタン)としてみることもできますし、それが左右対称になっている全体を一つのパタンとしてみることもできます。異なる階層を同時にみていると、何となく、人工生命ということを連想します。

 別の壁面には、ロボットのドローイングで人の顔を描いたのが展示されています。これらには『physiognomy』というタイトルが付いています。この語は、辞書をひくと、(性格を示す)顔(つき)、人相学、などの訳語がありました。内面的なものを外面的にあらわし、さらに、外面的なものをつくることによって内面的なものをつくるということまで考えさせます。これらのドローイングは、ピカソの顔とか描かれてありますが、人相学の実践なのだろうと思えてきます。岡﨑さんが以前書いたテクスト『メルヒエンクリティック』(artictoc vol.3, 2007)に、16世紀の自然科学者ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタと彼の人相学について言及がありました。性格というのは感情のくせみたいなものかもしれませんから、人相学は感情のようなこころの状態を扱うアートになるのだろうと思いました。人相学は現代では疑似科学といわれるかもしれません。しかしここでは本来の可能性が見出されていて、それはこの展示の全てと連関してあるのだろうと思います。この展示は、マイナーなものも含めた学知の再編成・再生がひそんでいて、ひとりルネサンスみたいなものなのかもしれないという気もしてきます。

 このギャラリーには隠し小部屋のような展示室もあります。そういう建築的つくりまで作品になっていると思いました。

 

(原牧生)