ポリ画報通信

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年末メモ

 今年を振り返ってみると、それ自体時間について考えてしまうことになるが、自分個人にとっては、ディヴィッド・トゥープさんのワークショップに参加したことは重要だったかもしれない。広い意味での即興演奏。

 即興は、いま・ここ、での行為と思っていたが、今とは何なのか。例えば、できるだけ短い音を出そうとしてみる。その不可能な瞬間が今だろうか。あるいは、今いる場所に場所の記憶があれば、その記憶の時間も今だろうか。

 精神分析でいう転移のような時間経験。そういえばどちらも、やっている時間をセッションとよんでいる。J.ラカンは分析治療の時間枠設定にとらわれないセッションを実践し理論付けしていた。それを読むと、何だか分からないが、即興の時間と関係あるように思える。どうして終わる(切れる)のか、というのもそうだが、緊張というか切迫がもたらされている時間。小さくてもそこに突破がある。

 即興は、受け・レスポンスとしてやる方が、やりやすく面白くなりやすいと思う。お題に対して応えるとか、まず他者なり状況なり何かがあって、それについて、あるいはそれに触発されて、何かいったりしたりする。関係性と単独性を両立させる。

 一方、先立つものを即興することは、たいてい慎重に探り出される。慎重に思い切った無意味さの提示。オチのない時間を生きる。

 今年は「詩の朗読会」があってよかった。詩にはひかれているが、詩一般を愛読しているとはいえない。詩に何をもとめているのだろう。ないものねだりかも。それを、コンクリート・ポエトリー(の可能性)に投影している。それでも、自分で選んだ詩を朗読している時間、間接的にあるいは変換されてだが、それはないわけではないのだろうと思う。詩のよみ出しと即興のきっかけは似ているかもしれないし。

 

(原牧生)