5月メモ
ハロー・ワールド 展 (水戸芸術館)
説明的に思える作品が多い。
あるいは、どういう作品か説明がついてしまうような作品。
(本展の)アーティストは分かっている立場だ。
そうでなくてもよいはず。徴候的なもの、それじたいが徴候であるような事物や事象、発見的価値はそれら(又はそれらを見出すこと)にある。
(本展の)作品から情報社会という物語を除けば人間的欲望に変わりない。
昆虫(的)というのはポスト・ヒューマン的かもしれない。
上映会「イヨマンテ-熊おくり」 (路地と人)
アイヌは、日本国内のマイノリティというより、ユーラシアのひろがりでとらえられる存在だ。
(かつての)狩猟民の暮らし、文化、共同体のこころ。
いまある国境や国家の歴史と別の世界が潜在する。
神村さんの振付に、十数人の出演者全員が舞台前際に一列横並びで、舌で口蓋を弾き(?)、ランダムにあちこちで舌の音が響く、というのがあった。自分の体での一人遊びみたいなことが集団の表現になっている。ユニークでユーモラス。
福留さんは、出演者が自己振付したものを構成・演出した。その人が選んだ言葉(動詞)が元にある。言葉から体の動きへ、それは言葉のイメージというものだろうか(違うような気がする)。言葉の意味から連想を連鎖。意味伝達の(媒体の)抵抗。
(原牧生)