ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

6月メモ

テニスコートのコント「浮遊牛」(ユーロライブ)

 

 いくつかのコントで構成されている。個人的によかったのは例えば次のようなもの。

① 三人いて、それぞれ一人で過ごしている。うち一人が、ふとひとり言をいう。他の二人が、その言葉につっこみを入れる。

② ①と同じ人が、またひとり言をいう。①よりわざとらしいので、他の二人は関わろうとしない。①の人は声を大きくしたりして無理やり関わらせる。

③ ①と別の人がひとり言をいう。それはわざとだが、思いがけないひとり言らしさを出すのは難しいというような話になる。

④ ひとり言をいってつっこませるのが一種のゲームになっている。つっこみも、それがどうできているかという方にメタ化している。

⑤ 三人それぞれひとり言をいおうとしてぶつかる。いう人の決め方など調整を試みてもうまくいかない。

⑥ 三人それぞれ他の人に関わらずひとり言をいい始め、いい続けている。暗転。

 場面や人物(役)など舞台設定がほとんどなく、言葉じたいに引っかかる面白さが抽出されているように感じられた。またあるいは、SNS的コミュニケーションを連想させなくもない。

 

「絵と、」展vol.2藤城嘘(gallery αM)

 

 PCの画像では分からなかったが、実物をみると力というか勢いのある絵に感じられた。ギャラリーの本棚に作家が選んだ本があり、どういう文脈で制作しているかが分かる。そのいわば戦略性は筋が通っているように思えた。もしかしてこういうのが(日本の)現代アートのど真中なのだろうか?…という気も少しした。

 日本語の文字を描き込んで絵にできているのが、やり方の参照はあるにしても、特長だと思えたし参考になった。「ポストモダニスム」を平がなで描いたものなど、コンセプチュアル・アートというわけでもない絵として、海外の作品ではありそうだけど日本語でやるのは難しそうなことがなされていたと思った。

 

白井晟一の「原爆堂」展(Gallery5610)

 

 「原爆堂」の建設実現を目指すプロジェクトが模索されているということで、本展は、白井晟一の仕事をアクチュアルに活かそうとする動きのなかにある。7月には晶文社から『白井晟一の原爆堂 四つの対話』という本が出されるそうだ。

 原爆堂についての白井晟一の文章があり、造型のピュリティ(英文ではformal purity)という言葉がつよく心にのこる。この建築は、広い意味での宗教と芸術が本質で一体であろうとする施設、という感じだ。超越的というか人間レベルとは別の次元(の経験)を、物質的に実現させようとする。造型のピュリティformal purityは、そういう(建築の)理念であるように思える。

 

(原牧生)