ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

11月メモ

ポスト・インプロヴィゼーションの地平Vol.6 (Art×Jazz M’s)
細田成嗣(企画、対談)、大城真(ゲストアーティスト)

 ミニアンプの出力と入力をつないで発振器にして音を出させているものを複数置いていく。それらは影響を与え合いかつ影響を受け合う。大城さんはそれを聴きながら置く位置を変えたりピッチやボリュームをいじったりしている。聴き手が動いても聴こえ方は変わる。発振や干渉は不確定だが、ある程度管理された不確定性だと思えた。
 ところで大城さんは夏の大△(さんかく)というユニットで活動している。手ぶらで会場へ行き、そこにある物を使って何か即興する、ということもしていたそうだ。アンプ発振器は、そういう会場にあったギターアンプでやり始めたものだそうだ。何も持たずに行ってそこにある物で即興する、という話がよかった。もたずに、所有せずに、やる(できる)という実践、と考えると。機材は、音楽をつくるための元手、私有財産だが、そこにある物を共有物として扱う、あるいは無主物のように。そして、そのアンプを演奏者に従属させて使うのでなく、ひとりでに音を出させておく。所有(私有)の原理にとらわれない、対立すらできる実践、そう思うと即興を見直せそうな気もする。

 

シアターX晩秋のカバレット2018『ジョン刑事の実験録』 (シアターX)
多和田葉子(自作朗読)、高瀬アキ(ピアノ)

 ジョン刑事とはジョン・ケージのことだった。ケージの本の引用が朗読に取り入れられたりもしている。このシリーズは、社会的政治的なことを言葉あそびで風刺し批判するという面がある。今回も、ジョン・ケージと社会的政治的なことが近付けられている。ジョン・ケージは、大まかに思うと、1940・50年代は前衛芸術家で、60・70年代はカウンターカルチャーの人だったような気がする。80年代以降は、そういうものが成り立たなくなっている。そうなるとケージがいっていた聴くことや沈黙といったこともコンテクストが変わってくる。今回の舞台は、社会や政治に対して、黙って聞いてるだけじゃやっぱりだめよというメッセージ性も感じられ、多和田さんの朗読も気合が入っていて、刺激を受けるものだった。ケージは、先生だったシェーンベルクからハーモニーのセンスがないねといわれた、というエピソードが出ていたが、それはポジティブな言葉だったのだろう。

 

即興的最前線 「アポリア」の跳躍 (EFAG East Factory Art Gallery)
池田若菜、岡田拓郎、加藤綾子、時里充、野川菜つみ、山田光(以上出演)、
細田成嗣(企画)

 演奏はあれこれ4時間くらい続き、その後にトークが2時間近くあった。時間をかけてやっていることによって出てくるものもある。一口に即興といっても、やっていることは人それぞれだいぶ違う。トークの話を通じて、それをあらためて考えることができた。(1)特定の歴史性をもったジャンルとしての即興、インプロヴィゼーション。もともとは音楽の自己解体のような前衛性をもっていたと思う。(2)前衛性というよりコミュニケーション型。音楽のボキャブラリーが使われている感じもする。(3)音あそび、といういい方もある。演奏というより音を扱う作業(機材の操作)といえたりする。ポスト音楽的なのかもしれない。トークのなかで、記譜して演奏(上演)するというやり方では複雑すぎて実現困難なことが(集団)即興では起こっている、という考え方もあって、なるほどと思った。サウンド・アートやフィールド・レコーディングとの関係などいろいろ気付かされた。

(原牧生)