ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

5月(手段の開発)

空間を編む (TABULAE)

鈴木なつき

 

 たとえていえば型紙を切り抜いて三次元空間に立てたようなつくり。切り抜かれた空間と切り抜いた空間が互いに写像し合って自律しているように見える。タブラエという場所のかたちが所与の条件で、条件に従って空間をいわば変奏させているが、その空間には自律性もある。場所の条件と構造の自律性を両立させるということが空間設計なのだと思えた。かやのようなメッシュというか半透明の布地の仕切りで、空間の構造だけを想像できる。この展示は建築の展示だが、内からみた建築、内部空間だ。建築と身体・身体経験というテーマが感じられるようだった、

 

辻可愛個展「節むす穴むす」 (スタジオ35分)

 

 作者本人の説明をきくと、タイトルの「節むす穴むす」は、自然の原理だと思えてくる。受精卵の分裂、生物の発生過程をいっているようでもあった。草木やムシなど身の周りの自然への関心、親しみがまずあると思う。自然(の原理)を描くことと抽象化と絵画空間の構造化をつなげようとしていると思えた。会期最終日(クロージングパーティー)に、隣接するバーで作品から考えられた料理が出された。それにレンコンが使われていて、根茎としてのレンコンは文字通り節むす穴むすものだなと思ったりした。

 

サロンさど島 (blanClass)

泉イネ

 

 これは、泉さんが佐渡で何かやっていきたいという思いから何人かに声をかけた集まりで、それをブランクラスでオープンに行なったイベントだった。プロジェクトというよりもっとゆるやかな関係で、ゆるやかな関係のままやっていこうとしているようだった。いわゆる地域アートといえるものだろうか。それより個人的なものかもしれないが。それはともかく、この動きはどういうアート(アーティストの活動のあり方)になっていくだろうか。いまは、助成金などお金を動かして成果を出して、というのが芸術活動のあり方として普通になっている。作家であるためにはそういう契約的で即効的ともいえるやり方に適応しているわけだ。それでもこの集まりには、この動きをそういうものにはしたくないという気持ちもあるようだった。どうなっていくのか分からないが、作家は自分のやり方でやり続けていくものだとあらためて思えた。

 

Drawing: Manner  (Takuro Someya Contemporary Art)

岡﨑乾二郎、大山エンリコイサム、川人綾、牧口英樹、村山悟郎、ラファエル・ローゼンダール

 

 ギャラリーの企画展で、ギャラリーの主張というか戦略性のようなものが目を引く。岡﨑さんの作品と村山さんの作品が並んでいるが、こういうことをしてくれるギャラリーもあるんだなと感慨深い。大山さんと岡﨑さんは、以前もこのギャラリーの三人展で展示されていて、そのときは組み合わせの理由があまりよく分からなかったが、今回はDrawing: Mannerというテーマ性があって、その観点でそれぞれの作品の問題意識のようなものを見ることができた。川人さんの作品はオプティカルアートのように見えるが、背景に織物があると分かると違って見えてくる。柄を織り込む機織りのような手法、プロセス性が感じられてくる。

 

百年の編み手たち –流動する日本の近現代美術 (東京都現代美術館

 

 展示は3階から始まるが、いきなり恩地孝四郎らの『月映』があって中身も画像で見ることができる。詩と絵(版画)がそれじたい作品としてある、今ならアートジンといえそうなものだ。しっかりした製本のようだったが、どうやって作ったのだろう。後から思うと、特に絵の印刷。もしかしたら絵は版画で文字は活字だったのだろうか。当時写真製版みたいなものがあったのだろうか。

 3階を見るだけでも相当の時間と体力をついやしてしまう。終わりの方はあまり時間をかけられなかった。残念だが、上の階と下の階(おおまかに近代美術と現代美術)では見方、経験の仕方が違うということもあるだろう。館内の解説文が、英語の方が日本語よりくわしいようで、海外向けを意識した展覧会なのかなと思えた。

 

(原牧生)