ポリ画報通信

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ロベール・ブレッソン「ラルジャン」(1)

あらすじ…見えない全貌

 ラルジャン、そのものずばり「お金」を指す言葉だそうです。偽札を巡る人々の小さな利己心と、出来心の偽証が連鎖して、平凡な市民イヴォンはたちまち罪人へと転落していきます。人々は自らの手を渡った偽札がどのような不幸を引き起こしているのかを知らず、不条理をもろ手に受けてしまったかのようなイヴォン自身も、事件の全貌を垣間見ることはありません。

 トルストイを原作にした群像劇として幕を開ける本作は、後半に向かって悲運の主人公イヴォンへと描写を集中させていきます。紆余曲折を経てすべてを失ったイヴォンは出所後間もなく殺人を犯し、偶然出会った老女にかくまわれることとなります。静かな生活のもとに繊細な感情を取り戻したかのようなイヴォンでしたが、老女を含むこの一家をも、突如としてその手にかけてしまうのです。第一の殺人までは同情的でいられた観衆も、ここで決定的な断絶を突きつけられるでしょう。事件の全容を把握しえない登場人物同様、観客もまた、罪過の所在を定められるだけの特権的な視座を保障されてはいなかったのです。

 

隠された物語…「罪の天使たち」との共通項から

 私たちは恩人の惨殺という、一般的な理解からは遠く隔たったイヴォンの行動に衝撃を受けますが、常識からかけ離れた判断というのなら、“殺人者と知りながらも見知らぬ男をかくまい続ける”という老女の振る舞いが既にしてその通りであった点を見逃してはならないはずです。

 このように後半を取り出してみると、ブレッソンはデビュー作「罪の天使たち

http://polygaho.hatenablog.com/entry/2015/12/31/062913

の構図を丁寧になぞり返していることがわかります。女囚テレーズと彼女に手を差し伸べるアンヌ=マリーが相補的な存在であったように、イヴォンと老女もまた対応関係にあるとしたら、イヴォンの転落物語の裏には、老女が隠遁する聖者の如き奉仕に身を呈するまでの時間が密かに書き重ねられていたのではないでしょうか。であればそれは、少なくともイヴォンの物語と同じように複雑で、説明不能で、孤独で、ただただ確率によってその身を掴まれたかのようなまったき不条理であったことでしょう。「私が神ならあなたを許すわ」。すべてを見通しえないはずの老女の台詞には、イヴォンの身上に対する透徹した眼差しが露呈しているかのようです。

 

(続きます:佐々木)