ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

夕方帰宅してみると、名絵画探偵亜目村ケン 

 展覧会などみにいって思ったことを書きたいと思います。

 

夕方帰宅してみると

2016.1.16-2.7 milkyeast

Sabbatical Company (杉浦藍、益永梢子、箕輪亜希子、渡辺泰子)

 

 会場で、カフカの作品『夕方帰宅してみると』を読めるようになっています。それは、独特な個人による小説であり、かつ、民話的想像力のような物語性がある大人の童話みたいでもあります。かぐや姫や桃太郎の話のように、不思議な誕生と出会ってしまい、育てることになります。そういう昔話では、山や川など外部の自然で異質なものと出会い、老夫婦のような共同性があって、それと擬似親子関係をつくります。カフカの作品では、異質なものは自室の内部に現われます。話はただ一人の男性の一人称の語りになっています。両者の関係は契約で、それを文言にして字で書いておくというのが、いかにもカフカらしく感じられます。しかし一方、約束をするというのは昔話にもよくあるパタンです。カフカはメルヒェン的なものを不条理性のある小説へつくりかえているように思えてきます。私が読んでとらえられたのは、最後に両腕を広げて飛ぶ練習をしている場面です。童話的ナンセンス・おかしな人のようでもあり、あるいは、こうのとり風の鳥の話は全部この人の妄想で、部屋で一人で飛ぶ練習をしているのかもしれないとも思われ、おもしろこわいですね。

 このグループ展には、カフカのこの作品をそれぞれが読んで、それへの応答といいますかあるいはそれによる触発などを作品化したものが出ています。こういうふうに読んだのか、と思えます。この企画は、この作品から読み取れるようなことへの関心が先にあってこの作品が選ばれた(あるいは見つけられた)のか、そうでないとしたらどうしてこの小説なのか、成り立ちが不思議です。

 それにしても、自分(観客)も読んで、この作品を読める(状況がある)ことじたい価値があると思いました。読むと前提を共有して展示の場に入れる感じになります。読むという経験を作品化するという方向性も感じられましたし、カフカというたんに個人的でない言葉を書いた人が書いたものが、そういう場を可能にしたといえるかと思いました。

 

Whales公演 名絵画探偵 亜目村ケンepisode1 ~パンは小麦の香り~

2016.2.10-11 blanClass

出演 外島貴幸、河口遥、吉田正幸 脚本・演出 高橋永二郎

 

 前回、アート系人材による音楽イベントを取り上げましたが、今回は演劇公演です。脚本・俳優、演出・演技、それぞれにそれゆえの突っ込みどころがあると思うのですが、それがどこまで意識的にやってるのかよく分からない、ようにみえる(みせる)センスが感じられます。例えば、公演タイトルに付いている、~パンは小麦の香り~という言葉など、どこかくすぐったいものがあると思います。これは、おしゃれなキャッチコピーなのか、おしゃれなキャッチコピーのにせものなのか、おしゃれなキャッチコピーのにせものをしていることがおしゃれであるキャッチコピーなのか、どうでもいいのか。 私にとっては、この言葉は実感的というより論理的です(小麦の香りをかぐことはほとんどなくてそれを知らないので)。これはいっけん論理的に当たり前のことをあえていっているようにみえます。が、本当にそうでしょうか。パンは小麦の香り、というのは。何かおかしいというかへんではないでしょうか。似たような例、ワインはぶどうの香り、チーズは牛乳の香り、おにぎりは稲の香り、等々を考えていくと。 こういうふうな目立たないずれ、意識の偏りみたいなものが、脚本・俳優、演出・演技、に感じられるのでした。

 劇中、ドクターブレインというのが出てくるのですが、これを全ての絵画がアーカイブされた人工知能とすると、いまどきのSFにみえてきます。しかしそうしないで、割と素朴な映像空間と手作り装置の演劇空間にもってきているのがいいのだろうと思いました。タイムマシンによって、過去と現在に因果関係はない、未来はひとつでない、といった洞察もえられます。

 

(原牧生)