ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

1月メモ

 practice、affair、などとよばれた堀浩哉さんの’70年代の試行を振り返る機会があった(金子智太郎・畠中実、日本美術サウンドアーカイヴ、1月7日三鷹SCOOL)。

 学生の頃古本屋で買った「美術手帖」のバックナンバーで写真など目にしたことがあり、ポイエーシスではなくプラクティス、ということは印象に残っていた。今回、説明の文章も配布され、何をしていたのかを知ることができてよかった。会場に彦坂尚嘉さんもおられて発言されたりして、何となく時代性を感じることもできた。

 しかし、その当時においては説明するまでもない状況や、問題機制、どうしてこうしなければならないのか・何をやろうとしているのかというようなことは、今では過去のものになっている。

 問題は問題でなくなってしまったのだろうか。

 これらをパフォーマンスとよぶことは後付けで、パフォーマンスという制度に回収しているようにも思える。

 闘争を持続するために何をすれば闘争の持続になるのか、というような問題は、過去化している。

 物語を信用しない、意味解体的作業。

 日常性のなか、還元的、退屈な闘争。

 個人でできること、それは(ものとコンセプトと)言語行為に関わっている。

 

(原牧生)