ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

12月メモ

ポエトリー・イン・ダンジョンvol.1 (アートスタジオDungeon)

 

 永澤康太さんの自作詩のやり方は独特なものだ。書くことより、うたうこと、語ること。いちいち覚えながらつくっているのだろう。私的なことが詩にされている。感情、気持ち、思いが強い。この頃はラップにはまっているそうだ。言葉をあふれさせる方がいいようだ。くどきという言葉を思い出す(伝統的な意味で)。感情的な訴えかけ、情念的負荷のこもった言葉、くどくどいうこと。上演は、声になることなのだ。音程が何ともいえない感覚だ。

 

Reflection 辻可愛 佐々木智子 二人展 (Art×Jazz M’s)

 

 辻さんは近年は植物を描くことに関心があるそうだ。植物が生成している空間を描くことによって絵画空間を構造化することを探っているようだ。モンドリアンの木の連作のような抽象化も考えているらしい。佐々木さんは風景を描いている。特定の場所というより、いくつかのイメージが合成されているようだ。そのもとになるメモを普段つけているとのこと。形よりも色で、色斑で描いている。

 

ポスト・インプロヴィゼーションの地平vol.7  (Art×Jazz M’s)

 

 前半の松本一哉さんのライブは、金属製のオブジェや銅鑼を用いて響きを扱うものだった。銅鑼を円くこすっていると、低域から高域まで含んでいるような音圧が強まっていき、物理的に迫力あった。電気を使う音響機材を使っていない。

 後半は細田成嗣さんとのトーク(インタビュー)。松本さんは、フィールドレコーディング的なこともしている。だが、機材という技術の操作だけでなく、演奏のような技術、身体的関わりも使う。聴くだけでなく、聴きたい音をどうしたら作れるかをいつも考えている。音楽というより音フェチ。また、他の人がやっていることはやりたくない、等々。

 

Vacant Lot 散策研究会Cadavre K (TABULAE)

 

 この展示は、北川裕二さんによる散策研究会の活動記録であり、また、きれいに額装された写真作品でもあった。散策研究会は、長い道のりを長い時間歩くことを晴でも雨でも継続的にしている。さらにそれは散策というより徘徊ととらえられ始めている。

 ところで、赤瀬川原平さんは70年代に美學校で「トマソン」ということを始めた。それは83年から雑誌「写真時代」で読者参加型の企画として展開された。それから、路上観察というふうになっていく。「トマソン」は、トマソンという野球選手の豪快な空振りからインスピレーションをえてそう名付けられた。いわば、非有用性を超有用性へ転化すること(写真と語りによって)。

 「トマソン」を参照してみると、散策=徘徊の過激さの可能性を考えられるかもしれないと思えてきた。

 

(原牧生)