ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

3月(理論という他者性)

DOMANI・明日展 (国立新美術館

 

 村山悟郎さんの作品は、いわば画布の生地を織る(編む)ことから、つまり絵画の支持体を作ることから始められている。細長くとがった先が始点なのだろう。支持体の構造に理論が関わり、その作り方(手法)を実行するプロセスとして支持体の形ができていく。いわゆるシェイプドキャンバスとは形のでき方が違う。そのプロセスを自己組織化といっているのだと思う。多分、初めに完成予想イメージがあるのではなくて、やっているうちに成っていくものなのだろう。計画的でもなく無秩序でもなく何かに従っている。

 一方、その支持体に描かれた表面というか狭義の絵の方も特徴的だ。色数が四つくらいに限られていて、色使い・筆触がパターン的でそれが組み合わされているように見える。支持体は分岐しながら広がるうちに重なり合ったりしていく。支持体を先に作ってから描くのではなく、両方を一緒に進行させていったのだろうか。また、会場にセルオートマトンのドローイングも展示されていたが、アクリル画のパターン性と関係あるのだろうか、など興味がわく。

 第一印象として、何か民族学博物館にでもあるような祭祀にでも使う物みたいな雰囲気があった。そういう物は、作り手の自分の表現ということはもともと問題でない。共有された規則のようなものに従って、あるいみ理論的に、作られていたと思う。野生の思考といわれるような。具体的で抽象的な自分の外部の社会化された思考法。現代の社会では、自己組織化などを扱う科学が、具体的で抽象的であるような思考を、ふたたびひらいているのだろう。

 木村悟之さんの映像作品には、三輪眞弘さんのアルゴリズム作曲による音楽の一部が使われていた。循環的な感じの音楽だったが、手仕事的な創発性みたいなものとの違いが感じられた。

 

IKEA/砂川闘争 (立川市

橋本聡 ゲスト松井勝正

 

 14時にIKEA立川店入口前に集合。「RECALLS」展の実践篇というか、現地を歩いてア-ティストの話をきいたり参加者もしゃべったりするワークショップのような感じだった。立川の現地へ行ってみて初めて分かるということもあった。元米軍基地の広い土地、元滑走路の道路、自衛隊駐屯地、農地も残っていて50年代当時あたりが農村だった様子を想像できなくもない。実感的リアリティとでもいえるようなものだ。普通の住民=農民の人たちが、自分たちの土地=暮らしを守るために闘争したというまっとうさがすごい。

 広い土地があったからIKEAが出店したと思うと歴史の皮肉のような気もする。IKEAは何かを達成あるいは実現したのだろうか。例えば、W.モリスらがやろうとしたことと較べて考えると。IKEAで橋本さんが安価なミニテーブルと椅子(スツール)を買って、公園で参加者が組み立てることもした。デザインは悪くないと思うがやはりチープではある。モリス的基準・価値観でみたら本物とはいえない。しかし、現代の世界では、生活のリアリティはそういう本物のリアリティではなくなっていて、IKEAにあるような、カタログ化されたライフスタイル、人生劇場のようなモデルルーム、階級差を忘れさせる価格とデザインの商品、などになっている。そう思うと、かつての砂川闘争のような、実感的生活リアリティの闘争は、今日的現実感覚では難しくなっているに違いない。そうではあるが、米軍基地をめぐっては今最もアクチュアルな闘争が続いていて、それは砂川闘争の頃からの続きなのだということも忘れられない。

 「RECALLS」というプロジェクトは、状況に対峙して現場を読み変えたり、それ自体に批評的意味をもたせたりするような、コンセプトなのだろうと思う。パロディ的というかデュシャン的思考操作ともいえるかもしれない。砂川闘争とIKEAと別のリアリティが重なっている、そもそもそれを見出すことがコンセプチュアルだ。それを効果的に提示できるかが実践の試みだった。

 そしてその関連あるいは文脈で、ファーレ立川というパブリック・アートを見直すこともした。あらためてその成り立ちの複雑さというか両義性を考えることができた。

 

(原牧生)