ポリ画報通信

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8月(文化とお金)

 

 8月11日から21日にかけて、トゥバへのツアーに参加した。トゥバ共和国ロシア連邦の中の共和国の一つで、大まかにいえばモンゴルの北側にある。このツアーは、音楽家巻上公一さんが行なっている。巻上さんは90年代からトゥバとの交流を続けている。そのため、トゥバのホーメイ関係などの人たちとのコネクションができているようで、それでツアーは成り立っている。

 今回のツアーの目的の一つは、首都クズル(別の表記もある)で開催される国際ホーメイフェスティバル(といってもトゥバで使われる言葉はトゥバ語かロシア語が主で英語ではない)。ホーメイは、トゥバの伝統的な唱法で、倍音の響きとテクニックが驚異的。もう一つは、伝統的なノマディックスタイルの円型のテント(組み立て式で本来は移動できる家屋)に宿泊するキャンプ体験。トゥバ文化センターでいただいたパンフレットをみると、トゥバにはそういう、多分外国人観光客を対象とした、ツーリズムがあるようだ。私たちが体験できたのは、そういう中でもおすすめのキャンプ(宿営地)だったようで、クズルから西方400kmくらい離れたところにある。

 フェスティバルは、パレード、開会式、コンテスト、コンサート、表彰式、閉会式など4日間にわたる。コンテストは、ホーメイを本格的にやっている人たちが多数参加し、レベルが高い競い合いだ。トゥバの他、中国やモンゴルからの参加者も目に付く。ロシア、アメリカ、ヨーロッパなどからもきている。多分外国人向けに、コンテスト以外の文化プログラムもオプションで体験できる参加プランがあって、私たちはそれに申し込んでいた。これは、巻上さんのあっせんと、お金を払えば参加できるということで、参加できたわけだ。今回のツアーでは、文化とお金(商売、資本主義的なもの)についていろいろ考えさせられた。

 トゥバについては、いくつかの本やネットの記述は読めたが、分からないことだらけだ。例えば、どういう経済なのか、どういう産業でお金を回しているのかなど。畜産業や鉱業が主なのだろうか。アスベストの鉱工業がある話はきけた。そういえば畑はほとんど見なかった(気付かなかった)気がする。買い物をすると、表示価格のみの支払いだったが、消費税みたいなものはどうなのだろう。日本車にも人気があるらしいが、見かける車は中古車のようなのが多い。へこんだり傷んでもそのままというのもみられる。高いビルはあまりなく、首都から離れた町は平屋の家屋が広がっている。家屋は、多分木造でしっくいを塗ったようなつくりかもしれないと想像される。窓の周りの彩色など独特な色彩感があり(車で移動中運転手さんのお宅で休ませてもらえる機会があったが壁紙の色柄など内装も印象的だった、色使いはテントの内装のセンスと通ずるものがあったと思う)、町の景観はとても味わい深い、というか文化的だ。ここにはこういう生活文化があるという感じがする。そして、比喩的にいえば、枠あるいは直線軸としてあらかじめある時間と、それとちょっと違い未来を先取りしない現在のような時間と、異なる時間の様相を同時に生きているような感じもある。

 そういうトゥバに日本からきて、トゥバ語もロシア語もできなくて人に頼りながら、ホーメイどしろうとにも関わらずフェスティバルに参加することにしてしまって、自分は何をしているのだろうと思わざるをえない。日本人はお金を出すお客さんだと受け取られていたのではないだろうか。卑屈な考えかもしれないが。普段あまりお金をつかわない生活なのでギャップがあった。だが、とはいえ、このツアーは手作り的なので、市場原理とそれだけではないものとが混ざっている。トゥバの大陸的自然、異文化の伝統、市場経済的には周縁的な体験など、お金をかけなければ出会えない。それでも、そこでの出会いにはお金にかえられないものがある。そういう割り切れなさによって、今どきの文化は保たれているのかもしれない、とも思う。

 今回は、成田からまずロシアの都市ノボシビルスクへ行き、そこで一泊してトゥバの首都クズルへ行った。ロシアからトゥバへくると、トゥバの人たちは、顔つきとか外見が、日本人と似た感じというか近しい感じがあり、風景は外国なのに子どもの頃の光景を連想させるような、あえていえば、幼児期に田舎の親せきのところに行った虚偽記憶の感じみたいな、不思議な感じもあった。

 キャンプ地は人里離れたところで、広々として、きれいな小川が流れている。牛の群れが放牧されていて、牛たちは地面に生えている草を食べながら、時間帯によって移動していたようだ。朝方には私たちのテントのすぐ近くにいたりする。足かけ4日間のキャンプの間に、伝統的なやり方の羊の屠り・解体を見学し羊料理を食べさせてもらったり、別のテントでしている乳製品作りを見学・試食したり、ホーメイのうまい人(このキャンプの運営者でもある)からホーメイのレッスンを受けたりした。それぞれ料金が設定されたコースだともいえるが、それでも、いってみれば、(民族的な)芸能を学ぶために(その人たちの)ライフスタイルから学ぶ、ということに近いことを体験できたのではないかと思える。夜は寒いので、テントの中のストーブというか炉というか鉄製の箱型のものの中でたきぎを燃やし続けていた。(フェスティバルのプログラムでも牧場見学があり、乗馬体験などもできた。)

 フェスの期間中には、シャーマン訪問と仏教寺院見学というのもあった。トゥバの仏教はラマ教チベット仏教)だ。チベットの声明は倍音の響きでも知られているので、もしかしたらホーメイと関係あるのではと思ったこともあったが、やはりそういう関係はないようだ。(それはそれとして、トゥバの仏教は民衆的に感じられた。日本のお寺には墓地があり、家々の墓は、日本人にとっては一種の拘束力のようなものをもっていると思う。トゥバのお寺には墓地がなく、日本のお寺とはやっていることがちょっと違うような感じだ。墓地は別のところにあり、棺に入れて土葬だが、日本にあるような祖霊信仰はうすいらしい。それが遊牧的なのかもしれないという気もした。)

 ホーメイのレッスン中に、牛の鳴き声を真似るというのがあったが、むしろそういうのを真に受けるべきであるようだ。後日思ったことだが、真似といわれていたことは、模写とか再現(リプリゼンテーション)ではなく、それになることだ、と考えてみたらどうだろう。牛になること、あるいはヤクとか熊とか。動物になることだけではない。風になり、川のせせらぎになり…というのが、何というか、ホーメイの無意識なのかもしれない。フェスの開会式に踊りの演目があり、踊り手たちは、鳥、トナカイ(?鹿?)、熊、になっていた。それらはハンティングのサクリファイスであるらしかった。トゥバでは、シャーマニズム的なものが、深いところにあるのかもしれない。

 限られた日数だが集中的に滞在できて、ホーメイはトゥバの伝統文化に根差したものであることがはっきり感じられた。日本で、倍音唱法のかたちはできていてもホーメイになっていない場合が少なくないのはもっともだ。トゥバの文化を尊重し、ホーメイの伝統に入る、あるいは入ろうとする、いわば、ホーメイの人になろうとしなければ、ホーメイ(の文化コミュニティのようなもの)では認められないのかもしれない。巻上さんは独特で、ホーメイだけでなく自分の何というか声だけでない全身的なボイスパフォーマンスも一緒になった人間性のようなもので、(トゥバで)独特な認められ方、立場、人気をえているようだ。日本の文化というのでもない。人はどんなものを面白いと感じるかの共通性のようなもの。あるいみ前衛的でユーモラス。それはそれとして、日本の中でホーメイをやることにはどういう可能性があるのだろう。日本人のトゥバの人になることか、文化折衷的というかフュージョン的な試みか、あるいは、倍音を抽象的に音響として扱うようなことだろうか。

 コンテストには、周りの人の助言や援助のおかげで、5分くらいのソロ・パフォーマンスをつくることができた。本番では肝心のホーメイが練習時よりうまくいかなくて残念だった。自作詩の朗読に声のパフォーマンスが付くかたちで、短く簡単な詩だが、急きょ通訳の方にトゥバ語訳をお願いし、カタカナ書きにしていただいてそれも読んだ。もとの日本語詩は、1行ひらがな6字が8行で、4行ずつ二つに分けた。読み方は、複数の意味の流れを意識するようにして、語が音に分解され気味な音響詩的ともいえるような発声。あるアメリカ人の方から、サウンドポエトリーのように聞こえた(らしい)という感想もいただけた。トゥバ語の発音はあやしいものだったが、パフォーマンスの後で、僧侶とか仏教と関係あるのかというような質問をしてくださった方もあった。

 旅行のリアリティは日常の中に埋もれていくが、詩の朗読と音響詩と声のパフォーマンスとが関係し合うなかから何かをつくるという方向性、トゥバのホーメイに潜在するもの、そういうことを考えながらやっていけたらと思う。

 

(原牧生)