ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

9月(現実に関わるとは)

坂本繁二郎展 (練馬区立美術館)

 

 一貫したことをやっている感じが心に残る。作家は1882年生まれ、1969年に亡くなっているが、戦争中でも戦後でも、やっていることにブレが感じられない。若い頃すでに洋画も日本画も何でも描ける技量があった。そのうえで、自分がやることについての確信のようなものをもち続けていた、としたらそれが才能というものだろうか。

 例えば、同郷の友人(本展に作品が展示された)青木繁の絵にみられる物語的テーマ性のようなものとは無縁だ。モデルというか実物実景を見てそれを描いていた。似たようなモチーフが繰り返し描かれている。それを見ていると、絵が、この現実に拮抗あるいは対抗する現実であると思えてくる。

 明るい感じの色彩で、絵によっては、ぼんやり見ていると色斑の集まりのようにも見えてくる。視覚的には全ては光かもしれない。けれども、感覚だけではない。彼はフランスに留学したが、すでに印象派・ポスト印象派を後から眺められる時代だった。そういうのも見ていたと思うが、独自の道を進んでいる。

 詩人の蒲原有明三木露風らと付き合いがあって、三木露風とは能を観に行ったりしていた。彼らの詩は象徴主義といわれたりする。画家と詩人の交友があったのだ。

 彼の絵の、例えば、水から上がってきた馬とか、象徴的なイメージといえなくもない。後から見れば象徴性があるように見える絵は、他にもあるかもしれない。でも、解釈されるような象徴性が問題ではない。感覚と超感覚(メタ感覚)の関係。例えば、じゃがいもの絵とか印象的(超印象的)だった。

 

グロトフスキ研究所 / 劇団テアトル・ザル 『アンヘリ-呻き-』 ( シアターX )

 

 シアターXはもともとポーランドと縁が深く、ポーランドの作家の作品、ポーランドの劇団・演劇人の公演をこれまでいくつもつくっている。今年は日本とポーランド国交樹立100年ということだ。

 一篇の詩をもとに作られた舞台作品。出演者は11人いる。演劇というよりダンスのような身体表現、歌(各地の古い聖歌のコーラス)、詩の朗読(朗詠というべきか)、シンプルなセット、から成る。

 舞台の上に、演技エリアと同じくらい大きな布が水平向きに張って(吊って)ある。それは動かせて下ろしたりできる。舞台上には人が横たわれる台のようなものがあったり、舞台面の高さの違いがつけてあったりする。また、人間より一回り大きい長方形の枠が立てて置いてある。それは何かの境界なのだろう。そこをくぐり抜けたり、それにぶら下がったり、あるいは倒して引きずったりもする。

 聖歌は、どこの地域かどういう宗教のものかなど分からないが、コーラスの声は別の次元を感じさせる。聖性というのだろうか。死の位相。人が死ぬことは魂がどこかへ行ってしまうことだという感覚あるいは想像と感覚が一緒になったようなもの。声は身体から発せられる身体的なもの、しかし一方声は身体にとって自分にとって外部的なものでもある。声が別の空間を実現させる。

 詩は、ポーランドの詩人ユリウシュ・スウォヴァツキ(1809-1849)の最後の詩篇『アンヘリ』。現実的な身体、潜在的な身体、というようなことを考えさせる。訳は上演前にもらえる。訳者名がなかった。

 

 ・・・

 そして見よ!立ち上がってくる

 死者から立ち上がってくる

 ・・・

 魂ある者たちを 立ち上がらせ給え!

 彼らを生かし給え!

 ・・・

 自分の似姿を見るときは 幸せである

 だが 生まれる前の自分の姿を目にしたとき

 現れず 消えもしないイメージに

 どれだけ耐えられるか?

 ・・・

 天上界のからだや この世のからだもある

 ・・・

 栄光のなかで ひとつの星は

 別の星とも異なるのである

 蘇るときも 同じである

 ・・・

 恐ろしい記憶が立ち上がった

 ・・・

 爬虫類がとぐろを巻いて 額を冷やす…

 

 そして 天使は昇っていく 息づく

 

(原牧生)