ポリ画報通信

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詩の時間

BEAT AND BEYOND

 

 カフェ・ラバンデリアからビート詩をめぐるトークが配信されている。話し手は詩人のヤリタミサコさん。回ごとに詩人を取り上げ、詩の講読、朗読の動画の視聴などがある。

 第一回(10/24)は、ローレンス・ファーリンゲティ。「飛行機の歴史」。この詩は2001年のテロの後に発表された。その時のアメリカの世論・空気のなかで書かれ、朗読会で読まれ、詩にアクチュアリティがあったということが印象的だった。対立や分断の構図に対して、全く別の見方を考えるユーモア。朗読会の雰囲気は古き良きリベラル(?)という感じだった。

 第二回(11/28)は、民衆の詩(うた)という観点から、ボブ・ディランの詩(うた)が取り上げられた。民衆の歴史として日本の民衆歌も紹介された。「激しい雨が降る」を読み、パティ・スミスによる朗読を聴いたりした。民衆的記憶・民衆的想像力のようなものを媒介していることによって、いい詩なのだと思った。

 第三回(12/12)は、アレン・ギンズバーグ。「死とプルトニウムの詩」。プルトニウムという物質そのものだけでなく、プルトニウムという名前(言葉)がギンズバーグの詩的想像力を喚起させている。プルトニウムは、物質としての作用があり、かつ象徴とか比喩としての作用がある。死の神話的イメージ、利権構造の告発、等々が含まれている。ギンズバーグは、プルトニウムに向かって呪力をかけるように詩をうたっている。原子力の力は悪霊の力みたいなもので、言霊の力でそれをおさえる、というような詩。それはこっけいにみえるだろうか。詩が人のこころに情念的に作用していたら、潜在的な政治的力といえるだろう。詩人(の言葉)をまにうけることができれば。

 「ウィチタ竜巻スートラ」はベトナム戦争中の詩だが、この詩で詩人は戦争を終結する宣言をしている。それをいわせているのは大きな詩的自己感とでもいうようなものだ。悲惨、苦しさ、錯乱、性的な欲動、それらを詩によって聖性に転化させようとする詩人。それらを感じるべきだと思う。

 ヤリタさんは2016年に『ギンズバーグが教えてくれたこと 詩で政治を考える』(トランジスタ・プレス)という本を出している。2020年には柴田元幸さん訳『吠える その他の詩』(スイッチ・パブリッシング)が出た。また、雑誌「新潮」2016年6月号に、柴田さんと村上春樹さん訳のギンズバーグの詩五篇が掲載された。村上さんの訳には村上さんの語り口があるように感じた。

 ギンズバーグの詩はギンズバーグの生きざまであり、その強度もしくは純度みたいなもののレベルは、詩のあり方を考えさせる。

 三回それぞれ、割と長い詩だった。息の長い詩が書かれ読まれるということに静かなパワーを感じる。彼らの詩は声や韻律の力を感じる朗読会の時間として少なからぬ人たちに受けとめられている。長い詩の時間のライブが成り立っているとき、みえていること以上のことが起こっているといえるのではないだろうか。

 

(原牧生)