写実絵画
第97回白日会展 (国立新美術館2A・2B・2C・2D)
白日会展は以前は親せきが絵を出していたので見に行っていたが、今回は最近の写実絵画に関心を持って見に行った。
写実という言葉から、写生、写真、写像といった言葉が連想される。写像は幾何学的な考え方が光学装置の技術で具体化、応用化されてきたと思う。光学的な像をそのまま写し取る、目(網膜)に像が映ることと同じような原理。写真は写像の技術だが、複製技術(複製芸術)であることによってイメージの私物化を浸透させたと思う。写生は、例えば小学校の図画では、実物や実景を見ながら描くことを写生といっていた。写生は見ることと描くことの関係としてある。写実は写像の技術と並行してきた。写真とか映像・画像の影響は無視できない。本物のように見えるというより写真のように見えると感じられるとしたら、そこには何か(昔とは違う)変化がある。細密描写の技術はそれ自体目をひきつけるけれど、そのように描けることは、目的であるだけでなく手段であっていいと思う。写真を見て描くことと写生とには違いがあり、写実絵画にとっては写生的リアリティが大事なのだろうと思う。写生は描く対象と生きた時間のような関係を保たなくてはならないだろうから。
そして、空間とか構成とかに、何か分からなさがある方がいいと思う。
写実絵画は見るという欲望を感じやすいと思うので、それについて考えさせられる。写像的な絵は見たいものが分かっているかのような絵だといえるかもしれない。写実絵画の欲望はそれだけでない可能性があるのではないか。
(原牧生)