ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

12月(感想「映画の襞をめくれば」)

映画の襞をめくれば 第3集 (Art×Jazz M’s)

 

 この企画は、講師のぱくきょんみさんが選んだ映画と詩を参加者で鑑賞し話し合う、ということをしている。全四回のうち三回が行なわれ、四回目はこれからだが、ここまで通しての個人的な感想などのこしておきたいと思う。

 詩は、英語圏から女性詩人とその人の詩一篇が選ばれている。詩と映画と直接的な関係があるわけではない。

 映画は、女性の生き方に関わるものといえるが、三回にわたり三本の映画を観てきて、そこに傾向というか絞り方が出ているように思った。欲望とかエロスとかのあり方が扱われ、欲望は社会であり政治であり経済であることが出ている。一人の人の生き方は、個人をこえた欲望の力関係としてある。それで今回は映画の感想を中心にした。

 映画と登場する女性達は以下のようだった。

第一回『チャーリー・セズ / マンソンの女たち』(メアリー・ハロン監督)

マンソン・ファミリー(チャールズ・マンソンのコミューン)に加わり、マンソンの信者のようになった女性たち。

第二回『ライク・サムワン・イン・ラブ』(アッバス・キアロスタミ監督)

日本の女子大生。彼氏には隠して、あっせんされた男性の相手をしてお金を得たりもしている。

第三回『愛の嵐』(リリアーナ・カヴァーニ監督)

少女の頃収容所で一人のナチス将校に気に入られ、倒錯的あるいは残酷に扱われていた女性。

 

『チャーリー・セズ / マンソンの女たち』

 彼女達がマンソン・ファミリー(コミューン)と出会ったとき、マンソンは魅力的な人に感じられ、そこは自由な感じがしたのかもしれない。マンソンは人の弱みにつけこむのが上手かったようだ。彼女達は、いわば裸の関係を経験する。傷を隠し合わないとか、自我の防衛が解除されていく。しかしその関係は、マンソンからの一方的なものだった。ファミリー(家族)は、欲望の制度的な場といえるだろう。彼女達は、自由なあたらしいファミリーをもとめたのかもしれなかったが、閉じたマンソン・ファミリーの中で、自ら望んでマンソンに支配されているような状態になっていく。

 自由をもとめた人が隷属をもとめるようになっていく欲望の力関係。

 マンソン・ファミリーは、当初は、同時代のヒッピーのコミューンと似たように、なるべく働かず、セックス・ドラッグ・音楽などをしていた。しかしマンソンは、もともと家族や家庭に恵まれず孤独で犯罪を繰り返して生きてきたような人で、いい意味でのヒッピーらしさと思われるポジティブ性は弱かった。次第に彼はネガティブな妄想を強めパラノイア的になっていく。ファミリーはカルトのようになる。

 信じるということは、良くも悪くも非人間的なことなのかもしれない。

 映画の流れでは、大物プロデューサーに認められて音楽で世に出るという願望が現実に否定されてから、マンソンは敵意を投影する妄想と周りを巻き込む行動に追い込まれていく。ドラッグの影響も示唆されていた。彼女達はマンソンに指示されるまま殺人の実行に加わる。エロスの欲望が生を破壊する欲望に転化する。

 

ライク・サムワン・イン・ラブ

 彼女は彼氏に隠し事をしているが、彼は何かおかしいと勘付いていて猜疑的になっている。あっせんされた男性はちょっと年をとっていて妙に彼女に気をつかう。それは年齢差の不自然という現実のごまかしなのだろうと思う。偶然の出会いから事態はこじれていくが、それはごまかしが破れて現実が明らかになる過程ともいえる。彼氏は彼女と対照的といえるようなキャラクターで、二人はどういう経緯で付き合うようになったのか興味深いほどだ。

 彼は、自分には何がいいのかをはっきりできる人だ。中卒で自動車整備という物に即した実直な仕事を誇りと自信をもって生き生きとやっている。若いのにすでに一人前に自立して自分の仕事場をもっているようだ。価値観はまっとうな人だ。保守的ともいえるが。自分でこうだと思い定めたら、そうしたいし、柔軟になりにくいこだわる傾向もある。多分車が好きだから車の仕事に打ち込めるのだろうし、彼女とは結婚して(家父長的になるかもしれないが)家庭をもちたいと思っている。

 彼女は彼と違って欲望について主体的になれない人のように思える。彼女は、今どきの日本の資本主義社会における欲望のあり方ってこういう感じなのかなと思える人だ。彼女の相手となった男性も、同じような社会層に属している同類の人と思える。

 彼氏の欲望は現実的と思えるが、その現実的ということは、伝統的みたいに欲望が制度化されているということなのだろう。とはいえ彼には力強い荒々しさがあって、何かそれだけでない可能性が感じられた。今どきの日本の資本主義社会は、そういう荒々しさを抑圧あるいは矯正する。彼女達は、その社会に適応している側だ。あるいみ欲望が非現実的だ。

 

『愛の嵐』

 この映画にはオペラの音楽などが出てくるが、ナチスの将校達は芸術を愛好していたようで、審美的態度は彼らのエリート意識の態度でもあったのだと思う。美は人間から距離があるものだ。距離化は疎外にも通じる。ナチスの審美的態度には、疎外されたエロスというのが感じられる。自分は科学のように冷静なポジションで相手をはずかしめるというような、権力と倒錯的エロスの結び付き。

 目を付けられた女性は被害者としか思えない。しかしこの映画は、戦後ナチスの権力はなくなっているはずの時代に二人を再会させ、二人の関係の反復ということを考えさせる。

 元ナチスの将校だった男性は戦後過去を隠して暮らしているが、元ナチスの仲間どうし秘密結社的につながっている。再会した女性は過去を知る人物なので組織的には生かしておけない。しかし彼はそれを受け容れられない。

 収容所では、彼は個人的な欲望のために国家権力を濫用していた。再会したとき、時代も立場も変わっていた。だが彼らにとって、死のプレッシャーは戦中も戦後も変わっていなかったのだろう。彼女は再会した初めは彼を怖れていたが、それは危険という誘惑だった。この危険は死の不安だ。

 死の近さにさらされて、二人は二人の関係に巻き込まれていったように思える。彼らは愛し合っていたといえるのだろうか。私には分からない。彼は裏切り者とみなされ二人とも組織にマークされる。

 監視、包囲(閉じ込め)、銃(暴力)、元ナチスの組織は、ナチス国家のミニチュアのようなところもあった。これも反復だ。この映画には、家族とか家庭とかは登場しない(彼女に夫はあるけれど)。個人どうしのエロスのようにみえる。しかし個人は国家(的なもの)から逃れられない。国家(的なもの)と死の関係をエロスとして体験しているように思える。

 

 欲望とは外部で、欲望は、憑くとでもいうようなあり方なのかもしれない。憑くということは社会的メカニズムだ。そういうものとしての欲望の犠牲に人はなることがあるし、過去から現在まで、欲望の犠牲は女性の方が多いのだろうと思う。

 

(原牧生)

11月(無意識の触覚)

伊藤隆介「Domestic Affairs」 (児玉画廊kodama gallery)

 

 これらの作品は、特撮セットを精巧に作動している模型にしたようなものなのだろうと思う。撮影で得られる動画イメージを見ることと、そのイメージを作っている装置が作動しているのを見ることを、同時に体験させるものだ。模型工作の技術とアイデアが現代美術になっていることや、何というか映像作品にしない映像の使い方みたいなことが、自分としては興味深く思えた。

 展示作品は二つシリーズがあって、一つは、前面から覗き込むようになっている家の模型。奥面が小さなモニタ画面で、それには室内調度と男女二人が映っていて、そして家の中は火事のように火が燃えている。観客からは二人は火の中にいるように見えるが、映像の二人にとっては、炎は存在していないような感じだ。観客にとっては、何か男女の心理的ドラマの無言劇みたいなシーン、それが炎の中という異常なイメージ、になっている。このシリーズは三点あって同じ人物が映っており、ストーリー性があるのかもしれない。内閉したあきらめみたいな雰囲気。だが同時に、火が燃えているように見せる模型の仕掛け、水蒸気を煙のように見せる仕掛け、あるいは、映像の炎と模型の炎がそのまま並んでいるギャップ、いわば現実の継ぎ目があらわにされてもいる。そういう分裂的な感じがよかった。

 もう一つのシリーズは、カメラの素子みたいなものが組み込まれたセットで、ギャラリーの壁面に映像が映されている。モーター仕掛けで工場のロボットみたいに規則的な動きを繰り返し、セットが自動的に展開して映像が移り変わる、というのが繰り返される。これも何というか自己分裂的な不気味さのようなものが感じられた。このシリーズも三点あり、セットにはそれぞれ何かあらわしている意味があるのだろうが、機械による繰り返しは意味を超えた無意味さを感じさせて、それもよかったと思う。

 

 

ジェイ・レヒシュタイナー Jay Rechsteiner 「Bad Painting」 (KOTARO NUKAGA)

 

 人間の人間に対する残虐さを描いている作品だ。一つ一つは比較的小さい(22.7×30.5cm)アクリル画のシリーズで、それぞれに様々な残虐な場面、エピソードが描いてある。プリミティブというかちょっとグロテスクにデフォルメされたようなペインティングで、その上に手書き文字の短文(英語)でその絵の残虐な話が書き(描き)込まれている。二作品(二シリーズ)の一つは七点横並びで、女性への暴行虐待がモチーフ。登場人物は日本人のようだ。もう一つは、七十点以上が大きな三角形になるように並べられている。そのことに特に意味があるのかは分からなかった。日本人から見れば海外の、残虐な出来事が次々並んでいる。背景に戦争状態や暴動状態があるものも多いようだった。

 これらの作品は、UNLEASHED SPEED UNLEASHED SPEECH (MISFITS) という展覧会の出展作品でもあった。その文脈を意識して見ると、見え方が変わってくるかもしれない。この展覧会は、ステファン・ブルッゲマン(1975年、メキシコ、メキシコシティ出身)がキューレーションして、オリオール・ヴィラノヴァ(1983年、スペイン、マンレサ出身)、ジェイ・レヒシュタイナー(1971年、スイス、バーゼル出身)、ガーダー・アイダ・アイナーソン(1976年、ノルウェーオスロ出身)が参加している。現代資本主義・政治システムへの問題意識を感じさせる展覧会だった。

 よく見ると、描かれているのは、集団的になった人間の残虐行為、また、組織になった人間の残虐行為、などであるようだ。個人の暗い欲望としての残虐性みたいな捉え方とは違う。これら全てがノンフィクションに基いているかは分からないが、ドキュメント集という感じはする。手描きの絵と言葉は、映像にありがちな真実性の装いとそのあやしさを、いわば回避している。何というか現代の民話(言い伝え)みたいな残虐物語集。物語のようで、これらはみな本当にあったことだと思われる(思える)語り方だ。

 人間の残虐性は様々に描かれてきた。美術史的にはゴヤなど思い付く。社会問題の残虐性をシュルドキュメンタリー(シュルルポルタージュ)の手法で描いた山下菊二の絵画などもあった。レヒシュタイナーの作品にも現代美術のパワーを感じた。

 

 

岡﨑乾二郎 「TOPICA PICTUS きょうばし」 (南天子画廊)

岡﨑乾二郎 「TOPICA PICTUS てんのうず」 (Takuro Someya Contemporary Art)

 

 このサイズの絵画作品が複数の場所で展示されているということで、そのうちの二ヶ所だけ見に行った。絵の外縁に額のようなものが付いているが、四辺囲んで閉じているのでなく、空き(開き)がある。それによって、絵はそれぞれ独立していても、それだけでないように見える。絵画の空間が限定されない。そして、もっと実体的な、作品の場所も、ここだけではない。空間や場所についての感覚・考えは、著作の仕事でも扱われているが、かなり以前からあったのだと思う。例えば、岡﨑さんがキューレーションに共同で関わった「アトピック・サイト展」(96年)でも、場所は会場だけではないということを行なっていた。ユートピー(どこにもない場所)に対するアトピー(どこであるかを問わない場所)とは、離散的な出現というようなことだったのではないかと思う。

 

(原牧生)

10月(芸術と個人主義)

Hideto AIZAWA –Relief and Sculpture- 相澤秀人展     ( kaneko art gallery )

 

 わりとシンプルな形・色が組み合わさったレリーフ又は彫刻の作品群。木製でサイズは小さめで、角のとれた親しみやすい感じで、クラフト的な仕上がり感といってもいいかもしれない。もっといえば、抽象的な木のおもちゃ、教育玩具的な感じも連想される。

 ギャラリーは、いわゆるホワイトキューブとはちょっと違う。壁面は白いけど純白ではなく、照明もそうで、そのため住宅の中みたいに感じることもできる。ギャラリーのオーナーは作品のこともギャラリーのことも気さくに話してくれる。ギャラリーとしては、普通の家の中にアート作品があるようにしたいので、家の中の壁面に作品がかかっている感じに見える展示の仕方ということも考えているようだった。普通の人に買えそうな価格が付いていたと思う。そう考えると、これらの作品はそういう狙いと相性がいいと思う。

 このギャラリーは、以前は京橋にあって若手向けの貸画廊もやっていた。私が学生の頃そこで友達と展示をしたこともあった。現在は横浜市鶴見にあって、オーナーは以前のオーナーの息子さんということだ。ちょっと感慨深い。以前とは変わっている今の時代に、現代美術のあり方(作品のあり方や社会的受容のあり方)はどのようにありうるのか、どのようにしたいのかを、このように探られているのだなと思った。

 

鶴崎正良新作展 (路地と人)

 

 新作である絵画の展示(・販売)が主だが、鶴崎氏は詩や小説も書いていて、それぞれ小さな本にして展示・販売されている。今回「書簡集」というのも加わっている。絵は風景(阿蘇山など)や家屋(古い倉庫など)を描いた写生的具象画。堅実な構成(構図)で色彩は何となくグレーがかった抑制的な印象だった。高校の美術の教師をされていたそうだ。絵の方は、表立って人に見せ(られ)る仕事、社会的立場のある表現だと思う。詩や小説は私的領域にずい分入り込んだ表現になってくるが、文学形式という枠組みで守られている。しかし書簡集は、手書き文字がそのまま印刷され、気持ちにまかせてそのまま書いたような言葉で、こんな恥ずかしいことを人前に出して大丈夫かと思うようなところもあり、これらを本にしたこと自体何かすごいなと思った。展示の企画や本作りは「路地と人」メンバーである鶴崎さんがしていて、二人は親子だ。今回プライベートな手紙まで目を通して、展示されたもの全体に一人の生きざまがあらわれているのを感じた。こんな生き方もありなんだと思えて、人生観が少し拡がった気がする。

 

豊嶋康子個展「前提としている領域とその領域外について」( Maki Fine Arts )

 

 円形のパーツに扇形のパーツが貼り付けられていて、それが重ねられ(作品によって5~9層になる)、円形パーツの中心にボルトが通って回転軸になっている。彫刻とかレリーフとかいうより、壁面に作品が並んでいるさまは、回転する機械の系列とでもいうような、独特な空間の作動状態を感じさせる。作品一つ一つは自律性がある。作品それぞれのタイトルが、作品に名前が付いてるという感じだ。そして展示全体として、全体化されない大きな機械(機械たち)のようでもある。

 作品タイトル(「地動説2020」シリーズ)からすれば、天体モデル、それぞれの惑星軌道をもった星々の銀河にもみえる。

 そして可変領域。アナログメーターのように可動な円グラフとかの組み合わせ、その組み合わせは無限だ。領域は色分けされていて、自然塗料が使われている。色彩の美しさが作品をいっそう魅力的にしているといえると思う。

 回転機械、宇宙、無限の変化。

 

(原牧生)

 

 

 

9月(過去を見直す)

連続対談「私的占領、絵画の論理」第3回 (ART TRACE GALLERY)

永瀬恭一/辻可愛(パネリスト) 一人組立(永瀬恭一)×ART TRACE(共同企画)

 

 企画の永瀬さんが、辻さんの作品紹介、彼による見どころの説明、ポイントに関することのインタビュー、をしていくもので、2013年の展示から順に作品を見ていった。通して見ていくと、何を描こうとしていたか、あるいは、何をやろうとしていたか、作家の考えが絵の描き方とか絵の雰囲気になっているように思える。

 例えば、(目に見える対象として)対象化されないもの、されないことを描く、ということがある。

人物のポーズそのものというより仕草などの動きの前後を感じさせること。

物語としての時間の長さのない予兆のようなシーン。

事件・出来事を扱う場合、一つの物語に回収されないように描く、異なる複数の空間・異なる時間を描く(永瀬さんがとりわけ評価されていたところ)。

日常にあるちょっとした感覚(視覚だけでない)をいろいろ捉えること。

空気中のちりの見え方(光が当たると見える)とか虫の毛に触って何か感じられるかとか自分で捉えられない感覚。(抽象。)

 辻さんの制作に関係するエッセイというか喩え話によるステートメント(出来事とその描写をテーマとしていたような文章)の朗読もあった。また、それがあったら出来事が起きたかもしれないが、なかったので出来事は起こらなかった、その、それがなかったことを描く、ことについて考えた、みたいな話など。

これまで壁画の取り組みがあったが、今も、大きいものを描きたいとのこと。

俳句の活動も取り上げられ、余白や(情報の)圧縮などは絵と共通しているそうだ。

他には、色使い、染み込ませるような描き方のことなどが話された。

辻さんの絵をまとめて振り返り見直すことができたし、永瀬さんがそれらの絵を独自に見出されたということは価値あることだったと思う。

 あらわれているそれではない何かを感じさせるということは、(広い意味での)言語の問題を考えさせる。予感とか予兆とかが、物語未然のシーンのように描かれうるとしたら、思い出せない物語、忘却、記憶喪失、何かあった(はず)と思うのに思い出せない、といったことと言語の関係も考えられるだろう。(失語症はそういう関係の一つかもしれない。)暗示というほども示されない、余韻、余情、余白のようなもの。思い出せない夢、想起から逸れていく感じ、意識をかすめる動き、かろうじてわずかなイメージが意識できる記憶に残る。それは比喩という表現手段になるだろうか。

 

 

映画の襞をめくれば 第3集 第1回 (Art×Jazz M’s)

ぱくきょんみ(講師) 佐々木智子・中涼恵(企画)

 

 ぱくさんの講座は、四谷アートステュディウムからつながるもので大事にしたい企画だと思う。今度の参加者はこれまでとは違う人が多かったと思う。

 映画は、殺害事件を実行した元マンソン・ファミリーの三人の女性が、事件の後刑務所で教育係の女性と対話していく、いわばその後の彼女達と、それまでの彼女達、事件に至るまでのコミューンでの彼女達の経験(回想のようであったりなかったりする)を、交互に描いている。

 映画を思い出して振り返ると、カーリーンという教育係の存在感も大きく、どうしてあそこまで深く関わった(関われた)のだろうとも思うし、彼女達との関わりにおいてマンソンと対比的に描かれていたようにも思えてくる。

 ぱくさんや他の人達の話を聞いていると自分では見落としていた多くのことに気付くことができて、こういう会のよさを感じる。

 マンソンは、ビーチボーイズのメンバーとの付き合いから、自分の音楽でビートルズのようになるという誇大妄想的な期待をもつようになる。それが現実(プロデューサー)に否定されて、反動的に自分の思い込みを強める。それからコミューンの人達を巻き込んで集団的な狂気とでもいえるような事態へ進んでいく。

 排他的な思い込みを強め外部に憎しみを投影するようなことは一般的なことでもある。この映画は、対話によって、思い込みに生きている人に自分で考えさせようとするカーリーンの努力を描いていた。自分で考え始めると不安や虚無感のような苦しみが生じるし、考えさせる方も苦しめることに心が痛み悩む。救われなさを生きる尊厳のようなことを考えさせる映画だったと思う。

 

(原牧生)

8月(聴くことと夢みること)

ポスト・インプロヴィゼーションの地平 (Art×Jazz M’s)

細田成嗣 ゲスト:津田貴司(サウンド・アーティスト)

 

 久し振りにライブ演奏の場に行くことができた。出演者の津田さんも、演奏後の細田さんとの対談のさい、ライブやイベントが生活のめりはりになっているからライブをできないのが一番危機的、というようなことを言われていた。演奏はギターとディレイのようなエフェクターで音色音響じたいが扱われている。弓で弾いたり。ミニマルともいえる。ディレイを使うのは他者と共演するように自分の音と共演するため、というような話があり、音のモアレ効果みたいなことだけではなかったのが参考になった。

 一方津田さんはフィールドレコーディングもメインの活動にされている。いわゆる音の風景みたいなものとは違うそうで、実存的という言葉を使っていた。何かサウンドスケープ的な音が実存的なこととして経験される、ということはあるだろうと思う。しかし考えてみるとその場合、そこにいるだけでなくそこでそれを録音する・録音しているわけだから、そういういわば再生産的な行為の実存性というのも考えられるべきかもしれない。

 学生の頃はコンテンポラリーダンスとか身体表現に関心があったそうだ。ジャズの文脈とはそれほど関わりがないところから始まっている。環境/音響/即興というテーマのイベントもされている。津田さんの活動を知って、民族音楽もフィールドレコーディング的にとらえる可能性など考えることができて、ヒントになった気がする。

 

2020年

 7月

 2日   イベントが終わった後に居合わせる

 3日   競馬当たったから少し出さなくちゃ

 4日   ちゃんとした人の家に入れてもらう

 4日   転がって転がすものはベアリング

 5日   カラスの巣から父が卵集める

 6日   やれない理由やって見せてやらない

 8日   只でもらえたけど大変な未来

 9日   私の家に行きたいと言われたら

11日   十円玉の中の五百円玉

12日   トマトだけ外で食べてる人がいる

13日   プラカップコーヒーもう持ちきれない

13日   大雨の後の大水バスの外

14日   遠い窓くもりガラスに父の影

14日   突然の力でいっちまったひと

15日   白球を向こうに投げて届かない

15日   母が残したスフィンクス開かれる

16日   将来は自衛官希望九歳

17日   弓がしなる音を聞いて矢を放て

18日   アイドルが実家で料理姉も歌手

20日   P.R.P.のプラカード持つ人

21日   いくすじの白髪にみえて染めた白

21日   われらの水鉄砲複合機

22日   彼らは彼らのやり方で始めた

22日   いない人青紫の朝顔

25日   つまようじパンにはさんでよくかんで

26日   言わなくていいことまでもごあいさつ

27日   あいさつもすれ違い本門寺墓地

28日   次は天体の話に深入りか

29日   ごとり琵琶が置かれる始めるために

30日   尋問する人や袋詰めの人

31日   しんとくは新しいからとくなのか

 

(原牧生)

7月(夢と物語)

  Dreamboardというアプリがあるそうで、検索すると、Dreamboard,the safe and secure self-tracking dream journalという書き出しで紹介がある。Dreamboardというウェブサイトがあってそこにつながっている。日々の夢の話を、そのさいの気分や感情と一緒に記録していくと、解釈ではなく、何かデータ分析してくれる。夢は、ある種のセラピーやアートなどのかたちで扱われるだけでなく、コンピュータで扱われるようになったということか。そういうアプリが他にもあるようだ。夢を書きためてもそのままになることは多いと思うので、データとして扱いやすいかたちになるのなら、これまでできなかったことができるようになったのかもしれない。

 夢の読み方は、夢をどう読むかという枠組みにしたがっており、その枠組みは物語ともいえる。このアプリでも、目的や意義として提示されているが、ヘルスケアという物語とか、よりよいライフについての物語というような枠組みがあって、そういう物語として夢が読まれ語られるのではないかと思う。夢は、夢をみていることと夢がみえていることの関係、自己と非自己の関係など、単純には扱い難いが、こういうアプリはある程度単純化されているのではないかとも思う。それでも、こういうアプリがどう発達していくかは分からない。

 

2020年

 6月

 1日   トイレに置くべき本ですねと話す

 3日   丸いものに線を刺して組み立てる

 4日   頁めくるように手が服をめくる

5日   字を間違いかけてインク出ず書けず

6日   リーディングカバー二重の本として

7日   おぞましさに屈服発狂漫画

7日   使い過ぎを楽しんだに言い換える

8日   路上葬儀かどこかからの人達

10日   瞳から意識下を撮る新兵器

11日   紙切れに手書きでもやはり原稿

14日   山かげから田んぼ通って来ました

15日   ラジオの声芝生をひざで感じる

15日   捨てられる漫画の山に手を付けよ

16日   知らないひとにとっては知らない人

17日   メモは誰かの言葉で期待知らず

18日   押される人に押し方リードされる

19日   しつこい束ね方外すの大変

20日   伝えるというより浮かび上がらせる

20日   余計なものが多過ぎますよと言う

21日   pee何とかって覗きかおしっこか

22日   それぞれの風呂に浸かって動きなし

23日   間違ってきてたの誰か開けちゃった

24日   再会ツアー先は寝過ごした後

24日   ゴキブリを紙でつまんで放り出す

25日   こんな書き方でいいのかと言われる

25日   生活記事みる生活したい人

26日   女の人の傘を玄関に置く

27日   頭からかぶってシャンプーシャンプー

29日   介護とかアメリカとかオレンジとか

30日   台詞を知らない演劇の練習

30日   生垣の陰に自分をかくまえる

30日   アパートでブレヒト君たちに会えた

 

(原牧生)

6月(夢生活)

 睡眠中の脳の活動が夢としてあらわれる。内臓など諸器官は、人が眠っているときも覚めているときも、ひとりでに活動している。生きるという目的に適った活動をしている。脳の活動もそうだろう。そういう点では、毎日体温を測って値を書くようなことと、夢を思い出して書くことは連続している。

 昨晩は、ビニルの浮き輪のようなものを頭からかぶって頭を洗う、横に別の人がいてその人の頭を洗う、という夢をみた。このことを思っていると、二日前にある人がシャンプーがもろに目に入ったという話をしていたのを思い出した。こんなことの記憶が夢になるのだろうか。でもそういう気がする。脳はひとりでに思い出したいことを連想的に思い出し、それだけでなく都合良く換えていたりするのだろう。そういえばシャンプーハットというものがあったと思う。そしてハットという語には、昨日思い当たることがある。だから何なのか説明しがたいが、自分のことなので自分ではそうかと思う。

 夢を俳句にするときは、そういう経験レベルの意味のためでなく、言葉をつくるために言葉を工夫する。いかに長さの制約を活かすか、いかに夢の説明をしないですますかなどを考える。視覚的に印象的であったりいかにも変わっていたりすることを、いちいち描写しない言い方を考えることもある。そして大事なのは定型の音数で自由律的な韻律感を出すことだ。夢になる記憶には社会的なこと、例えばいわゆるコロナ対策の影響が出ているものもある。また、個人的に古い記憶の雰囲気、イメージと感情が一体化した記憶のようなものもある。夢の深さの違いといえるものがあると思う。

2020年

 2月

 2日   新聞の言葉のようで書き込みだ

 3日   殻をかみ砕く一粒確かめる

 5日   できそうに思えぬ企画どう言うの

       あなたは誰でしたっけと声かかる

 7日   出来事は隣に起こる音を聞く

10日   人が群衆になる時いつのまに

12日   虫たちが飛び回る春の密室

       透明裸電球光わずか

13日   水洗から食べ物出て皆食べる

15日   教室無人小さな机と椅子

       つながらない差し込むとこ違うから

17日   助成取れと言われたと女性が言う

     三人の外れに座る誰か来る

18日   大ひらきの足運ばれひだが巻く

19日   口から正方形金属のかす

20日   古い記事その人のこの頃思う

21日   やわらかな重さパン生地のたうって

22日   来られては困ったけれどうれしさも

23日   開いた口から話すパンの袋

24日   見ても見られても眼差しは裏切る

25日   ゴーンという大通りがパリにある

27日   あふれ出すひじき炒め煮床はあお

28日   内向きにマイク通した耳ざわり

29日   細枝の幼虫動く葉は遠い

       白い部屋裸足の足跡ひとすじ

 3月

 1日   地図、印、私たちの名前の場所

 4日   のどを鳴らす練習またできるかな

 5日   調べ物なんてしてこなかったから

       高円寺おーい数式授賞式

 6日   道をたずねたらまた間違えていた

       残骸の車排泄の鉄くず

       合宿終えた人たちの輪に入る

 7日   ハムスターぎっしり動き回る顔

       ハムって今もあるんですねと話す

 8日   シールが多く字が少ないノート

 9日   手作りの袋はらんだ猫が来る

10日   画像と物体持って人形劇

12日   独語する彼の声色変調す

13日   つたない手てきとうか音楽の中

15日   言われたように坂を上るとあった

16日   言われない隣の人に気付いたら

17日   中庭的近道裏から入る

18日   少しずつ違うお菓子の作り方

19日   愛想良く話す向こうでは検査

20日   一人二千円そんなものだろうか

21日   ぶら下がる電燈を引く仕掛けあり

22日   他人の間子どもに話しかける

23日   部屋に来て踊り出す人ありがとう

24日   東洋堂治療院子どものあと

25日   黒ヤモリ二匹が酒の中にいる

27日   ほめてもらい物の言葉かけられる

       蒲田とカーテンの陰の女たち

28日   皆で逃げる木造階段上る

29日   流し台の中でしゃがんでいた人

2020年

 4月

 1日   参加しにきたところが流れている

       銅版画をプレゼンする銅版画

 2日   一仕事七万円の話聞く

 3日   詩人の家大きい横から見ても

 4日   チューリップ花びら模様見て描いた

 5日   公園の山道歩く固い土

 6日   科目迷う少年にじゃあ社会だ

       パティ・スミス歌う弦ぎざぎざし

 7日   寝過ごした失敗さらに欠勤か

 8日   肌に寄せてくるものもう離れよう

 9日   地下道行く隊列手に手に光

       対戦待ちすべるローラーブレード

11日   音空間演出距離で録音

       つかまえたって何ですかその通り

13日   取り調べ入る涙の里のこと

       映画初日迎え行く女性達と

       給茶機がお茶漬けの味海苔あられ

14日   胸起こして歩もう横見れば花

15日   池袋でカンディンスキーのカンで

16日   上った階段陰遡る部屋

17日   参加型企画見ていて眠くなる

18日   夜中寝ぼけながら腹筋運動

19日   風に飛ばされた本裸で拾う

20日   普通の点数隠す良い点数

21日   いつの間にか窓辺手伸ばして拾う

22日   撮ったのは自分なのか誰なのか

23日   ふさわしい人だったのかもしれない

       足重く間に合わない路で雨も

24日   まだ顔も洗ってないと声がする

25日   近付いても応えは分からない向き

27日   こう見えてやることがある私達

28日   絵の奥から穴トンネル工事中

       教会を見るそして追いはぎを見る

29日   面接で憲法きかれ落とされる

       雨の中水鉄砲で水かける

30日   外国のホテルにいるように遠い

       集まって弧の外側を向いたまま

 5月

 1日   締めても閉まらない古板戸いじる

       再会の集まり重い荷は椅子に

 2日   移り行く地図東京後の東京

       進めたこと止められ話を伸ばす

 3日   田を作るか畦を作るかみたいな

       ホームラン打った人みんなにタッチ

 4日   ローラーの間でボール転がらず

       問いかけて答は軽い種明かし

 5日   こたえずに自転車に乗りとんでるよ

       ブルガリア女声合唱乱れたら

 6日   出かけたはずが別のイエにとどまる

       がらんとした外でちらほらあつまり

 7日   徹子の部屋電話だけで話してる

 8日   あやうい運転交代しない夜

 9日   裸足だついて行きかけサンダルはく

11日   フェリーご案内切断の一揺れ

12日   叩きつける繰り返す無駄な怒り

       他害自傷取り違えて語るとは

13日   合唱をつくるネット上の会社

       雨の中桜の木まで何秒か

15日   ポップスワンダーウーマン不採用

16日   なだらかに緑広がる北海道

       階段と部屋の間二重網戸

       モデルハウスご飯食べだす父たち

18日   一人の部屋ふとひらけて父がいる

       開かれた漫画なぜかまた立ち読み

19日   送り先そこでなければ別のとこ

20日   水面魚カワウソの絵を描いた

       床に白い線遊びのための線

22日   水が増え川が激しく流れてる

24日   行きかける奴から話をきき出す

       先っぽの形二人で描き直す

25日   二つもらえても一つでいいものは

26日   展示物に父が書き込む感想か

       作品忘れてきちゃったという声

       『銀の糸』本が一冊残された

28日   自分の歳を十年サバ読んでた

       絵を描いた服がまだまだ広がるよ

29日   後ろに倒れながら前に駆け出せ

       群馬の町に引っ越す話をした

       巣鴨プリズン共同住宅

30日   地面にぐるぐる動いた重ね描き

       非難してさとされた人眠る4時

31日   コマ回し坂道下る回るコマ

       電話からはみ出すOLメモ書き

 

(原牧生)