ポリ画報通信

「ポリ画報」の活動、関連情報、ノート

10月(文脈を再編成する)

岸田劉生展 (東京ステーションギャラリー

 

 岸田劉生の絵は昔からスタンダードに見ることがあったが、以前の印象は何だか暗い感じで、どこがいいのかつかみかねていた。天才を理解できるのは天才だけだという意味のことをガートルード・スタインが書いていたが、そういうことなのだろう。年譜的なことを知り、時代的歴史的なことを思いながら、今見ると、38年の間に一人で何周も先を走って次々やっていたのかと思えてくる。デューラーや北方ルネサンスにしても東洋絵画にしても。伝統回帰というようなことではなく。

 今回の展示では、一連の油彩静物画に感銘をうけた。写実絵画の次元の高さを感じられる。宗教・信仰としてもとめることと芸術・創作としてもとめること、その関係を考えさせる。直接聖書にもとづいて描かれたもの、W.ブレイクを連想させるようなものもある。だが一方、絵が売れるようになってお金ができると道楽で遊んだりコレクションしたりしていたようで、そういう人間性も興味深く思えた。

 

東京計画2019 vol.4  scratch tonguetable (GALLERY αM )

ミルク倉庫+ココナッツ

 

 ギャラリーの中に鉄パイプでやぐらのようなものが組まれ、その上に仮設の調理場が設営されている。調理台、流し台、調理器具等々そろえてあり、上下水道の塩ビ管がギャラリーの床をはい、壁を突き抜けて外に通じている。まわりの壁面に様々な料理のレシピ、実際に作ったその料理が展示されている。

 本展は「東京計画2019」というシリーズの一つとしてキューレートされたもので、展示のレシピにはその問題意識に応答するようなアイデアやコンセプトが文章化されている。そこに作品性があるといえるかもしれない。しかしそれ以上に、料理を展示するためにギャラリー内に調理場を設営し会期中そこで料理をする、というやり方がいいと思う。

 料理の技術、工事の技術、それらの技術じたいはアーティストでなくても多くの人がもっている。だが、それらの技術をこのように使う、というのはアーティストの立場だ。「ミルク倉庫+ココナッツ」は、それらの技術を自分たちでもっていて、料理作りを、それを支えるインフラ作りからやってみせた。料理とか工事とかアートとは限らない技術を展示する、展示の技術はアートの技術であろう。みせる/みせない、のやり方など。期間中ギャラリーで料理(展示物作り)をしていても、それは作品の公開制作とは違うであろう。アートの枠にとらわれない、技術の再編成のようなことを考えることができた。

 

Strange Green Powder  (豊島区立目白庭園赤鳥庵)

神村恵(振付・演出、出演)、武本拓也(出演)、高木生(音楽)、ミルク倉庫+ココナッツ(美術)

 

 茶室は、障子・ふすま・ガラス戸に囲まれ、仕切られていて、それらを開けたてすることによって、場が開いたり閉じたり、空間が変わる。場所の使い方が効果的。途中から、パフォーマー相互の距離が大きくなり移動も増えて、それまで畳に座って見ていた観客たちも立ち上がってあちこち動くようになる。視点あるいは視線の不確定、というだけでなく、何か空間をトポロジカルに経験しようとするような感じがあって、そのへんがいちばんよかった。ダンスの即興とか音楽の即興とか前もって名付けられるようなものではなく、何といったらいいか分からないようなものが即興されることが、即興の面白さの可能性なのだろうと思える。登場時の三人の衣装も印象的で、かっこよくしないかっこよさのセンスのようなことを思った。

 

ガッシュケラント  (楽道庵)

山本謙、津田犬太郎、姫凛子、大隅健司、吉松章

 

 身体を使い、声を使い、言葉、衣服、その場にある物なども使っての、集団即興パフォーマンス。他の人に絡むことが場を展開させていく。絡みの距離感が近いことが多く、他人との安全を確保できる心理的あるいは身体的距離みたいなものを越えていく。存在の過剰さのようなものが感じられる。それがあれば即興は成り立つのだと思う。とはいえ、絡み方の即興、発想力や実行力、にはパフォーマーの経験知が感じられる。こういうレアなものをできる人の集まりを作れたというのがすごい。

 

即興音楽の入門と応用  (ART×JAZZ M’s)

工藤遥、仲山ひふみ、細田成嗣

 

 『フリー・インプロヴィゼーション聴取の手引き』(ジョン・コルベット工藤遥訳、カンパニー社)の刊行にちなんだトークイベント。即興について考える手がかりを期待して行ってみた。前半は本書の内容紹介やコメント、後半はそこから展開させた話。レジュメや話の感想だが、本書は、啓蒙的あるいは教育的とでもいえるかもしれない。能動的に聴くということが具体的に提案されていたと思う。文脈を知る、相互作用のあり方に注意する、途中で聴くのを止めることもできる… (こういう本の助けをかりたりして)自分で聴く。(自動的に感情移入されるような音楽とは異なり)自分で聴くことができるということは、聴く自由なのだと思う。

 コーネリアス・カーデューらの集団即興が取り上げられたのが印象的だった。そこから、文脈を再編成するというようなことについて考えさせられる。即興はもともと昔から普通にあったし今もあるものだと思う。だが一方、20世紀の芸術の前衛や実験という文脈において、即興はそれじたいに自律・自立した。そして、即興(音楽)は、人間が楽器を演奏することだけでなく、装置、インスタレーション、フィールド(レコーディング)といった領域へまたがっていく。すでに文脈は変わっているともいえる。即興(音楽)の今日的な政治化はありえるのだろうか。1960・70年代には可能性があったみたいだが。ありえるとしたら、多分まるで別のもののようにみえるのだろう。

 

(原牧生)

9月(現実に関わるとは)

坂本繁二郎展 (練馬区立美術館)

 

 一貫したことをやっている感じが心に残る。作家は1882年生まれ、1969年に亡くなっているが、戦争中でも戦後でも、やっていることにブレが感じられない。若い頃すでに洋画も日本画も何でも描ける技量があった。そのうえで、自分がやることについての確信のようなものをもち続けていた、としたらそれが才能というものだろうか。

 例えば、同郷の友人(本展に作品が展示された)青木繁の絵にみられる物語的テーマ性のようなものとは無縁だ。モデルというか実物実景を見てそれを描いていた。似たようなモチーフが繰り返し描かれている。それを見ていると、絵が、この現実に拮抗あるいは対抗する現実であると思えてくる。

 明るい感じの色彩で、絵によっては、ぼんやり見ていると色斑の集まりのようにも見えてくる。視覚的には全ては光かもしれない。けれども、感覚だけではない。彼はフランスに留学したが、すでに印象派・ポスト印象派を後から眺められる時代だった。そういうのも見ていたと思うが、独自の道を進んでいる。

 詩人の蒲原有明三木露風らと付き合いがあって、三木露風とは能を観に行ったりしていた。彼らの詩は象徴主義といわれたりする。画家と詩人の交友があったのだ。

 彼の絵の、例えば、水から上がってきた馬とか、象徴的なイメージといえなくもない。後から見れば象徴性があるように見える絵は、他にもあるかもしれない。でも、解釈されるような象徴性が問題ではない。感覚と超感覚(メタ感覚)の関係。例えば、じゃがいもの絵とか印象的(超印象的)だった。

 

グロトフスキ研究所 / 劇団テアトル・ザル 『アンヘリ-呻き-』 ( シアターX )

 

 シアターXはもともとポーランドと縁が深く、ポーランドの作家の作品、ポーランドの劇団・演劇人の公演をこれまでいくつもつくっている。今年は日本とポーランド国交樹立100年ということだ。

 一篇の詩をもとに作られた舞台作品。出演者は11人いる。演劇というよりダンスのような身体表現、歌(各地の古い聖歌のコーラス)、詩の朗読(朗詠というべきか)、シンプルなセット、から成る。

 舞台の上に、演技エリアと同じくらい大きな布が水平向きに張って(吊って)ある。それは動かせて下ろしたりできる。舞台上には人が横たわれる台のようなものがあったり、舞台面の高さの違いがつけてあったりする。また、人間より一回り大きい長方形の枠が立てて置いてある。それは何かの境界なのだろう。そこをくぐり抜けたり、それにぶら下がったり、あるいは倒して引きずったりもする。

 聖歌は、どこの地域かどういう宗教のものかなど分からないが、コーラスの声は別の次元を感じさせる。聖性というのだろうか。死の位相。人が死ぬことは魂がどこかへ行ってしまうことだという感覚あるいは想像と感覚が一緒になったようなもの。声は身体から発せられる身体的なもの、しかし一方声は身体にとって自分にとって外部的なものでもある。声が別の空間を実現させる。

 詩は、ポーランドの詩人ユリウシュ・スウォヴァツキ(1809-1849)の最後の詩篇『アンヘリ』。現実的な身体、潜在的な身体、というようなことを考えさせる。訳は上演前にもらえる。訳者名がなかった。

 

 ・・・

 そして見よ!立ち上がってくる

 死者から立ち上がってくる

 ・・・

 魂ある者たちを 立ち上がらせ給え!

 彼らを生かし給え!

 ・・・

 自分の似姿を見るときは 幸せである

 だが 生まれる前の自分の姿を目にしたとき

 現れず 消えもしないイメージに

 どれだけ耐えられるか?

 ・・・

 天上界のからだや この世のからだもある

 ・・・

 栄光のなかで ひとつの星は

 別の星とも異なるのである

 蘇るときも 同じである

 ・・・

 恐ろしい記憶が立ち上がった

 ・・・

 爬虫類がとぐろを巻いて 額を冷やす…

 

 そして 天使は昇っていく 息づく

 

(原牧生)

8月(文化とお金)

 

 8月11日から21日にかけて、トゥバへのツアーに参加した。トゥバ共和国ロシア連邦の中の共和国の一つで、大まかにいえばモンゴルの北側にある。このツアーは、音楽家巻上公一さんが行なっている。巻上さんは90年代からトゥバとの交流を続けている。そのため、トゥバのホーメイ関係などの人たちとのコネクションができているようで、それでツアーは成り立っている。

 今回のツアーの目的の一つは、首都クズル(別の表記もある)で開催される国際ホーメイフェスティバル(といってもトゥバで使われる言葉はトゥバ語かロシア語が主で英語ではない)。ホーメイは、トゥバの伝統的な唱法で、倍音の響きとテクニックが驚異的。もう一つは、伝統的なノマディックスタイルの円型のテント(組み立て式で本来は移動できる家屋)に宿泊するキャンプ体験。トゥバ文化センターでいただいたパンフレットをみると、トゥバにはそういう、多分外国人観光客を対象とした、ツーリズムがあるようだ。私たちが体験できたのは、そういう中でもおすすめのキャンプ(宿営地)だったようで、クズルから西方400kmくらい離れたところにある。

 フェスティバルは、パレード、開会式、コンテスト、コンサート、表彰式、閉会式など4日間にわたる。コンテストは、ホーメイを本格的にやっている人たちが多数参加し、レベルが高い競い合いだ。トゥバの他、中国やモンゴルからの参加者も目に付く。ロシア、アメリカ、ヨーロッパなどからもきている。多分外国人向けに、コンテスト以外の文化プログラムもオプションで体験できる参加プランがあって、私たちはそれに申し込んでいた。これは、巻上さんのあっせんと、お金を払えば参加できるということで、参加できたわけだ。今回のツアーでは、文化とお金(商売、資本主義的なもの)についていろいろ考えさせられた。

 トゥバについては、いくつかの本やネットの記述は読めたが、分からないことだらけだ。例えば、どういう経済なのか、どういう産業でお金を回しているのかなど。畜産業や鉱業が主なのだろうか。アスベストの鉱工業がある話はきけた。そういえば畑はほとんど見なかった(気付かなかった)気がする。買い物をすると、表示価格のみの支払いだったが、消費税みたいなものはどうなのだろう。日本車にも人気があるらしいが、見かける車は中古車のようなのが多い。へこんだり傷んでもそのままというのもみられる。高いビルはあまりなく、首都から離れた町は平屋の家屋が広がっている。家屋は、多分木造でしっくいを塗ったようなつくりかもしれないと想像される。窓の周りの彩色など独特な色彩感があり(車で移動中運転手さんのお宅で休ませてもらえる機会があったが壁紙の色柄など内装も印象的だった、色使いはテントの内装のセンスと通ずるものがあったと思う)、町の景観はとても味わい深い、というか文化的だ。ここにはこういう生活文化があるという感じがする。そして、比喩的にいえば、枠あるいは直線軸としてあらかじめある時間と、それとちょっと違い未来を先取りしない現在のような時間と、異なる時間の様相を同時に生きているような感じもある。

 そういうトゥバに日本からきて、トゥバ語もロシア語もできなくて人に頼りながら、ホーメイどしろうとにも関わらずフェスティバルに参加することにしてしまって、自分は何をしているのだろうと思わざるをえない。日本人はお金を出すお客さんだと受け取られていたのではないだろうか。卑屈な考えかもしれないが。普段あまりお金をつかわない生活なのでギャップがあった。だが、とはいえ、このツアーは手作り的なので、市場原理とそれだけではないものとが混ざっている。トゥバの大陸的自然、異文化の伝統、市場経済的には周縁的な体験など、お金をかけなければ出会えない。それでも、そこでの出会いにはお金にかえられないものがある。そういう割り切れなさによって、今どきの文化は保たれているのかもしれない、とも思う。

 今回は、成田からまずロシアの都市ノボシビルスクへ行き、そこで一泊してトゥバの首都クズルへ行った。ロシアからトゥバへくると、トゥバの人たちは、顔つきとか外見が、日本人と似た感じというか近しい感じがあり、風景は外国なのに子どもの頃の光景を連想させるような、あえていえば、幼児期に田舎の親せきのところに行った虚偽記憶の感じみたいな、不思議な感じもあった。

 キャンプ地は人里離れたところで、広々として、きれいな小川が流れている。牛の群れが放牧されていて、牛たちは地面に生えている草を食べながら、時間帯によって移動していたようだ。朝方には私たちのテントのすぐ近くにいたりする。足かけ4日間のキャンプの間に、伝統的なやり方の羊の屠り・解体を見学し羊料理を食べさせてもらったり、別のテントでしている乳製品作りを見学・試食したり、ホーメイのうまい人(このキャンプの運営者でもある)からホーメイのレッスンを受けたりした。それぞれ料金が設定されたコースだともいえるが、それでも、いってみれば、(民族的な)芸能を学ぶために(その人たちの)ライフスタイルから学ぶ、ということに近いことを体験できたのではないかと思える。夜は寒いので、テントの中のストーブというか炉というか鉄製の箱型のものの中でたきぎを燃やし続けていた。(フェスティバルのプログラムでも牧場見学があり、乗馬体験などもできた。)

 フェスの期間中には、シャーマン訪問と仏教寺院見学というのもあった。トゥバの仏教はラマ教チベット仏教)だ。チベットの声明は倍音の響きでも知られているので、もしかしたらホーメイと関係あるのではと思ったこともあったが、やはりそういう関係はないようだ。(それはそれとして、トゥバの仏教は民衆的に感じられた。日本のお寺には墓地があり、家々の墓は、日本人にとっては一種の拘束力のようなものをもっていると思う。トゥバのお寺には墓地がなく、日本のお寺とはやっていることがちょっと違うような感じだ。墓地は別のところにあり、棺に入れて土葬だが、日本にあるような祖霊信仰はうすいらしい。それが遊牧的なのかもしれないという気もした。)

 ホーメイのレッスン中に、牛の鳴き声を真似るというのがあったが、むしろそういうのを真に受けるべきであるようだ。後日思ったことだが、真似といわれていたことは、模写とか再現(リプリゼンテーション)ではなく、それになることだ、と考えてみたらどうだろう。牛になること、あるいはヤクとか熊とか。動物になることだけではない。風になり、川のせせらぎになり…というのが、何というか、ホーメイの無意識なのかもしれない。フェスの開会式に踊りの演目があり、踊り手たちは、鳥、トナカイ(?鹿?)、熊、になっていた。それらはハンティングのサクリファイスであるらしかった。トゥバでは、シャーマニズム的なものが、深いところにあるのかもしれない。

 限られた日数だが集中的に滞在できて、ホーメイはトゥバの伝統文化に根差したものであることがはっきり感じられた。日本で、倍音唱法のかたちはできていてもホーメイになっていない場合が少なくないのはもっともだ。トゥバの文化を尊重し、ホーメイの伝統に入る、あるいは入ろうとする、いわば、ホーメイの人になろうとしなければ、ホーメイ(の文化コミュニティのようなもの)では認められないのかもしれない。巻上さんは独特で、ホーメイだけでなく自分の何というか声だけでない全身的なボイスパフォーマンスも一緒になった人間性のようなもので、(トゥバで)独特な認められ方、立場、人気をえているようだ。日本の文化というのでもない。人はどんなものを面白いと感じるかの共通性のようなもの。あるいみ前衛的でユーモラス。それはそれとして、日本の中でホーメイをやることにはどういう可能性があるのだろう。日本人のトゥバの人になることか、文化折衷的というかフュージョン的な試みか、あるいは、倍音を抽象的に音響として扱うようなことだろうか。

 コンテストには、周りの人の助言や援助のおかげで、5分くらいのソロ・パフォーマンスをつくることができた。本番では肝心のホーメイが練習時よりうまくいかなくて残念だった。自作詩の朗読に声のパフォーマンスが付くかたちで、短く簡単な詩だが、急きょ通訳の方にトゥバ語訳をお願いし、カタカナ書きにしていただいてそれも読んだ。もとの日本語詩は、1行ひらがな6字が8行で、4行ずつ二つに分けた。読み方は、複数の意味の流れを意識するようにして、語が音に分解され気味な音響詩的ともいえるような発声。あるアメリカ人の方から、サウンドポエトリーのように聞こえた(らしい)という感想もいただけた。トゥバ語の発音はあやしいものだったが、パフォーマンスの後で、僧侶とか仏教と関係あるのかというような質問をしてくださった方もあった。

 旅行のリアリティは日常の中に埋もれていくが、詩の朗読と音響詩と声のパフォーマンスとが関係し合うなかから何かをつくるという方向性、トゥバのホーメイに潜在するもの、そういうことを考えながらやっていけたらと思う。

 

(原牧生)

7月(身体・言語・分裂)

Becoming in the City Performance Project

パブリックスペースと劇場を結ぶ、都市縦断型パフォーマンス

(渋谷ハチ公前、警察署前歩道橋、森下Sスタジオ)

振付・テキスト 山崎広太

コラボレーション・パフォーマー 穴山香菜、とだかほ、中林香波、松尾望、松本奈々子、熊谷知彦、ながやこうた

 

 渋谷の路上・パブリックスペース(ハチ公前と警察署前の大きな歩道橋上)でのパフォーマンスと、それをふまえて取り込んだ、スタジオの中でのパフォーマンス。

 路上では、パフォーマーはそれぞれ何か自分のタスクを設定してそれをしていたらしいが、それはスタジオに行くまで分からなかった。観客にとっては、不特定多数の人に見られうるパブリックスペースで、私的な行為をしている人たちを見ていたといえるだろう。私的ということは、他の人にはその行為(タスク)の意味が共有されていない、だから意味が分からないということだ。このプロジェクトについて考えると、パブリックアートという言葉を思い出す。パブリックアートとは、通常は、公共的な意味が共有されやすいもの、公共の意味を生じさせるものを指すかもしれない。ソーシャル・エンゲージド・アートのような。分かりやすい公共性を前提しているパブリックアートは、行政的なプロジェクトとも親和性がある。だが、そういうものより、こういう、公開的でありながら私的な意味に没入している行為が、パブリックアートというものを考えさせると思う。

 路上を通過していく人たちは、何か用事(遊びも含めて)があって動いているのだろう。路上にとどまってこのパフォーマンスを見ていると、そういう目的性や意味性から距離感をおいて街を見る感じになる。用のない人の視点、それはドロップアウト的な感覚だといいたい気もする。

 スタジオでのパフォーマンスは、ダンサーらしい体の動きにみちていた。が、演劇的と思えるような要素もあり、言葉の比重が大きい。例えば、話しているあいだ同時に、それとは別にジェスチャーをしている。話していることと必然的な関係はなさそうな手など身体の動き。発語と身体の関係が意識される。観客に話しかける人が同時に別の身振りをしていると、話しかける(かけられる)ことの直接性は違う感じになる。意味のこもり具合が違うということだろうか。身体を別々に動かすことで発語の流れは変わるかという試みでもあるようだった。

 他には例えば、路上でしていたことを言語化するようなところもある。路上とスタジオと、外と内あるいは開と閉の対比がある。パフォーマーの動きは、ある程度決めたうえでの即興らしい。台詞のようなものは山崎広太さんが書いたものらしい。それらの交錯は、比喩的にいえば、都市の意識の流れのようでもある。

 お話しのなかで山崎広太さんは、分裂とか分裂的ということをわりと口にする。分裂ということを考えてみると、例えば、思考が圧縮され速度感をともなう飛躍にみえる言葉のつかい方に、分裂性を感じたりする。抑圧に対して分裂がある、ということも考えられる。そういうところに、このプロジェクトの社会性あるいは政治性があるのだろう。

 

(原牧生)

抽象力で把握する

空間の潜勢力=坂田一男を通して考える、抽象の力 (馬喰町ART+EAT)

岡﨑乾二郎、成相肇

 

 東京ステーションギャラリーで「坂田一男展」を準備中ということで、それに先立つトークイベントがひらかれた。展覧会は、個人の回顧展にとどまるものではないようだ。ト-クでは、主に岡﨑さんが話し、坂田一男の画業を検討するために、レジェ、ピカビア、コルビジェ、モランディなどの作品が参照され、共有されていた問題が考察された。それを考えるために、岸田劉生坂本繁二郎セザンヌマティスなどの作品も参照された。また、その問題の観点から、リチャード・ディーベンコーン、ジャスパー・ジョーンズらの作品を見直すということも試みられた。

                                                                                   

 水をくぐること。セザンヌ水浴図、ランボーの一節。

M.シャピロのセザンヌの林檎論、梶井基次郎檸檬』。林檎や檸檬はどのような物として描(書)かれたか。

 

 洪水のような経験、ばらばらな感覚、非同一性の時間空間、その把握、それを描くこと、見えているものだけでないという感覚、時間空間を切り裂く・異なる時間空間が重ね合わされるという爆発。

 

 抽象という言葉の意味あるいは概念を考え直させる。普通の意味で具象でも抽象性がある場合も。象徴と抽象の関係、具体と抽象の関係など。

 

 認識の配置変えの提起力によって美術史的な専門性を超えている議論。

 

(原牧生)

5月(手段の開発)

空間を編む (TABULAE)

鈴木なつき

 

 たとえていえば型紙を切り抜いて三次元空間に立てたようなつくり。切り抜かれた空間と切り抜いた空間が互いに写像し合って自律しているように見える。タブラエという場所のかたちが所与の条件で、条件に従って空間をいわば変奏させているが、その空間には自律性もある。場所の条件と構造の自律性を両立させるということが空間設計なのだと思えた。かやのようなメッシュというか半透明の布地の仕切りで、空間の構造だけを想像できる。この展示は建築の展示だが、内からみた建築、内部空間だ。建築と身体・身体経験というテーマが感じられるようだった、

 

辻可愛個展「節むす穴むす」 (スタジオ35分)

 

 作者本人の説明をきくと、タイトルの「節むす穴むす」は、自然の原理だと思えてくる。受精卵の分裂、生物の発生過程をいっているようでもあった。草木やムシなど身の周りの自然への関心、親しみがまずあると思う。自然(の原理)を描くことと抽象化と絵画空間の構造化をつなげようとしていると思えた。会期最終日(クロージングパーティー)に、隣接するバーで作品から考えられた料理が出された。それにレンコンが使われていて、根茎としてのレンコンは文字通り節むす穴むすものだなと思ったりした。

 

サロンさど島 (blanClass)

泉イネ

 

 これは、泉さんが佐渡で何かやっていきたいという思いから何人かに声をかけた集まりで、それをブランクラスでオープンに行なったイベントだった。プロジェクトというよりもっとゆるやかな関係で、ゆるやかな関係のままやっていこうとしているようだった。いわゆる地域アートといえるものだろうか。それより個人的なものかもしれないが。それはともかく、この動きはどういうアート(アーティストの活動のあり方)になっていくだろうか。いまは、助成金などお金を動かして成果を出して、というのが芸術活動のあり方として普通になっている。作家であるためにはそういう契約的で即効的ともいえるやり方に適応しているわけだ。それでもこの集まりには、この動きをそういうものにはしたくないという気持ちもあるようだった。どうなっていくのか分からないが、作家は自分のやり方でやり続けていくものだとあらためて思えた。

 

Drawing: Manner  (Takuro Someya Contemporary Art)

岡﨑乾二郎、大山エンリコイサム、川人綾、牧口英樹、村山悟郎、ラファエル・ローゼンダール

 

 ギャラリーの企画展で、ギャラリーの主張というか戦略性のようなものが目を引く。岡﨑さんの作品と村山さんの作品が並んでいるが、こういうことをしてくれるギャラリーもあるんだなと感慨深い。大山さんと岡﨑さんは、以前もこのギャラリーの三人展で展示されていて、そのときは組み合わせの理由があまりよく分からなかったが、今回はDrawing: Mannerというテーマ性があって、その観点でそれぞれの作品の問題意識のようなものを見ることができた。川人さんの作品はオプティカルアートのように見えるが、背景に織物があると分かると違って見えてくる。柄を織り込む機織りのような手法、プロセス性が感じられてくる。

 

百年の編み手たち –流動する日本の近現代美術 (東京都現代美術館

 

 展示は3階から始まるが、いきなり恩地孝四郎らの『月映』があって中身も画像で見ることができる。詩と絵(版画)がそれじたい作品としてある、今ならアートジンといえそうなものだ。しっかりした製本のようだったが、どうやって作ったのだろう。後から思うと、特に絵の印刷。もしかしたら絵は版画で文字は活字だったのだろうか。当時写真製版みたいなものがあったのだろうか。

 3階を見るだけでも相当の時間と体力をついやしてしまう。終わりの方はあまり時間をかけられなかった。残念だが、上の階と下の階(おおまかに近代美術と現代美術)では見方、経験の仕方が違うということもあるだろう。館内の解説文が、英語の方が日本語よりくわしいようで、海外向けを意識した展覧会なのかなと思えた。

 

(原牧生)

4月(即興と詩)

Fushigi N°5第三回公演 (ALOHA LOCO CAFE)
向坂くじら、橘上、永澤康太

 

 何かについての言葉であるよりも、それがその何かであるような言葉、そういうものが詩だと考えたい。詩の形式で書かれた言葉であるよりも、パフォーマティブな言語行為、言葉の出来事であること。Fushigi N°5の試みを、つよくいえば、こういう方が詩だと思ってみているが、もう少していねいに考えると、即興的な言葉のセッションのどこかで、詩を経験する、断面のようなものがあるのだと思う。例えば、始まりとか終わりとか移行のタイミングはそういうものかもしれない。確定されない経験。
 三人でやっていると、ニ対一になったり一対二になったりできる。例えば、三人で雑談しているところから一人が離れて詩的なモノローグを始める。異質なモードが並置され、意味が分からなくなる。あるいは、一人芝居みたいなものを二人で見て解釈のようなことをしゃべり合う。また、一人が朗読して二人はその言葉の断片を拾って即興的に発していく。また、一人を知らない人とみなして二人で質問する、などのセットがあった。見せる・見る関係の枠組みを作りにくいパフォーマンスが、そうすることで上演の構造になっていた。劇中劇みたいにもみえた。
 即興のなかで、意味を共有されない単語がでてきて、日本語の複数性ということを考えることもできたりした。

 

(原牧生)